「そういう意味じゃ間違いなく“男”を知ってるんですけど……」”男の中の男” 山本竜二 インタビュー

2011年 写真:川保天骨 インタビュー:オルタナビジョン


山本竜二は知る人ぞ知る伝説の男優だ。アラカンこと嵐寛寿郎の甥っこという俳優としてはサラブレットの血筋にありながら、ピンク映画、AVの世界に飛び込み、しかも、ホモに熟女に果てはニワトリともファック! 極めつけは汚物にも手を出すという、はたから見ていると狂気の行動としか見えないことを飄々とこなす。
その一方、役者としてはNHK大河ドラマに出演するなど陽のあたる道も堂々と歩んでいる。一体どうやったらそんなことができるのだろうか? この男の底知れない生命力はどこから湧き出てくるのであろうか? 天国と地獄を軽々と行き来する山本竜二の生き様に迫る!
※このインタビューは、ペキンパー第弐号に収録されたものをPECKINPAH DIGITAL掲載用に編集したものです。

竜二
今日はどんな取材なんですか?

──この本のテーマは「男の中の男」なんですが、そうなるとやっぱり竜二さんを外すわけにはいかないと思うんですね。

竜二
僕が男の中の男!? まあ、僕はホモ映画も撮りましたからね(苦笑)。

──まさに“男の中の男”だと(笑)。

竜二
入れて入れられ、ね。そういう意味じゃ間違いなく“男”を知ってるんですけどそういうことじゃないでしょ?

──どん底の中でいかにシノいできたかという部分ですね。なにしろ、竜二さんの場合、京都・太秦の大部屋俳優からポルノ俳優になって、その後AVで有名になるわけですけど、かなり特殊なジャンルで名を挙げましたからね。しかも、その一方で一昨年はNHKの大河ドラマ「篤姫」にも出演してるという、振り幅の大きさが凄いんですよ。

竜二
この前はね、NHKのラジオドラマで徳川家康役をやりました(照)。

──ホント凄い落差ですよね。特に竜二さんの場合、ジャンルがジャンルでしたからね。

竜二
そうそう。普通AV男優っていったら相手は女でしょ。しかもキレイな女の人。でも、僕は女優さんだけと違いますからね。男ともやったしね、お婆ちゃんともやった、あとはニワトリともやりましたよ。そんなんばっかですよ(笑)。

──ニワトリとのファックはいまや伝説ですからね。

竜二
あれは20年以上前になりますけど、業界で有名な某AVメーカーがあるんですよ。そこと仕事することになって待ち合わせの場所に行ったらメーカーの社長さんがいるだけでスタッフがいないんです。「スタッフはどうしたんですか」って聞いたら、社長さんが「大丈夫です、私が全部出来ますから」なんていうんで車に乗り込んだら、スタッフはまだいいとしても女の子までいないわけですよ。「すいません、女の子はあとから来るんですか?」「いいえ、今日の山本君の相手はすでに後ろにいるんです」っていうんですね。でも、後ろの席を見ても誰もいないんですよ。

──おかしな話ですよね。

竜二
ただ箱がひとつ置いてあって、コトコト動いてるだけ。耳をすますとコッコッコッて鳴いてるんですよ。「えっ!」と思って社長の顔を見たらニヤっと笑って「そうです! 今日の竜二さんの相手はニワトリです。ニワトリを女だと思ってレイプしてください!」って(笑)。

──いきなり無茶苦茶を言いますね(笑)。

竜二
それで現場が富士の樹海になって、「いいですか、代わりがいませんからね、逃さないでください。じゃあ、襲って、スタート! ああダメダメ、カット、NG!」とかいって怒るんですよ。「山本君、私はさっき言ったじゃないですか、女を襲うように襲うんですよ。それじゃあ、どう見てもニワトリを虐めてるようにしか見えません!」って(笑)。

──いや、だって(苦笑)。

竜二
そう。だってニワトリを虐めてるだけですからね(笑)。そう言ったら社長も「仕方ないですねえ、じゃあ、もうそろそろレイプしてください!」っていうんで「どこにオメコがあるのかわかりません」「しょうがないですねえ、じゃあ、やってるふりでいいですよ、擬似で!」なんて話をしてたんですけど、その時にハッと気がついたんですよ。そのニワトリ、よく見たら立派なトサカがある。オスだったんですよね(苦笑)。

──人選ミスをしていたと(笑)。

竜二
トリのトリ違い(苦笑)。それでなんとか射精シーンを撮って終わりかなって思ったら、「じゃあ、最後にニワトリの首をはねて殺してください」っていうんですよ。「いや、そんなこと僕やったことないですよ」って断ると「ワガママ言っちゃダメです! 私はあなたを一日買ってるんですからね、言ったとおりにやってください!」ってまた怒る。それで、包丁でニワトリの首を切ったんですけど、ああいう時って遠慮したらダメですね、首が半分だけ切れてかえって可哀想。結局最後は手でむしりとることになっちゃったんですよぉ……。

──凄惨ですねえ。

竜二
でね、社長さんに「これはちゃんと食べましょうよ、食用で殺されるならまだしもAVで殺されたら可哀想ですよ」って言ったんですが、「あのね、そういう情けは不必要なんですよ。こんなものはいらない」ってポイって樹海に捨てちゃって(苦笑)。だから、富士の樹海には自殺者の死体だけでなく、首のないニワトリの死体も一羽確実にあります。

──これが有名なニワトリファック事件の全貌だったんですね。もう一つ、竜二さんを語る上で欠かせないのがウンコですよね。

竜二
僕は大部屋俳優出身だからイヤだっていうのが基本的にないんですよ。AVの仕事をする時も「本番するのは役者の仕事じゃない」なんていって断ったりする役者さんって多かったんですけど、僕はそんなことは一切ない。でも、その僕のなんでもやりますが逆にアダになったわけですよ(苦笑)。

──なんでもやりすぎたと(笑)。そもそもなんでウンコと関わることになったんですか?

竜二
昔、高橋樹里ちゃんというAVの女優さんとよく共演してて、撮影終わったあともよく飲みにいってたんですよ。で、ある日「竜ちゃん、ちょっと相談があんねん」と。「私、ちょっと竜ちゃんには言ってへんかったけど、スカトロのビデオ出てるのよ」「スカトロってなに?」「ウンコ」って言うから、シャレやなくてフ~ンっていうて(笑)。で、「最近そこのメーカーの社長さんが、男優さんがいなくて困ってはるんやけど、竜ちゃん、やってくれへん?」っていうわけです。まあ、僕もちょっと酔ってたからね。樹里ちゃんのことも好きやったし、「それじゃあ、その社長さんに僕の電話番号教えといて」なんていって。そしたらすぐ電話がかかってきて、「実は電話では説明しずらいんで、直接事務所に来てくれますか」と。それで事務所に行ったら今度は「口でも説明しずらいんでこのビデオを見てください」って言うわけですよ。

──なんか怖いですね(笑)。

竜二
怖いですよ?(笑)。だってモニターにはいきなり女の子のお尻のアップが映しだされましたからね。で、しばらくすると肛門がグーッと下がってきてポコッとウンコの先が出てくる。それがグーンと出てきてポトッと落ちると、カメラマンも慣れたもので、その落ちるウンコを追っかけてパーンダウンするんですよ(笑)。

──プロの仕事ですね。

竜二
素晴らしいですよ。でもね、次の瞬間、そのウンコは下にいたおじさんの口の中にパクッと入っちゃったんですね。そこで社長さんがピッとビデオを止めて「山本さん、この男優が最近いなくなりました」と(笑)。

──ワハハハ! 厳しいオファーですね。
竜二
僕はどうしようかなと。「ちょっとだけ考えさせてください」と言ってその日は帰ったんですね。

──考える余地があるのが凄いんですけど(苦笑)。

竜二
いや、だから、ピンク映画の先輩の池島ゆたかっていう役者に相談したんですよ。そしたら池さんが「役者はな、なんでも経験なんだよ。滅多にウンコなんか食うチャンスなんかないんだからやったほうがいい」って。僕も「これは役者の肥やしになりますね、言葉通りに」なんてシャレをいいながらやることにしたんですね(苦笑)。

──つまり、あんまり抵抗なかったと。

竜二
いやいや、最初は顔になすりつけたり、口に入れたりからですけど。

──いやいや、最初からもうそこまでやってるんですか!ってレベルなんですけど(苦笑)。慣らし運転みたいなことは一切しなかったんですか?

竜二
ないない。僕が社長さんにいうたのは、無理やり女の子にウンコを出さしてるビデオじゃなくて、やってるもん同士は「僕たち楽しいんです」っていうものにしたかったんですよ。第三者が見たらどんなに変態な行為であっても、やってるもんが楽しかったら救いがあるじゃないですか。それで当時『さんまのまんま』が始まったばかりで、あの形式にしようと。毎回毎回AVでご活躍されてる女優さんが、“山本竜二の部屋”に来て、お尻遊びして、最後ウンコして帰ってもらうってスタイルになったわけですよ。

──また凄い部屋を作りましたね(笑)。

竜二
ホントにこの部屋は凄くてね、カメラ3台使って撮ってたんですよ。テレビ局みたいに。
それで最後ウンコする時は、「あなたの顔を1カメが、あなたのお尻を2カメが、そして私を含めた全体像を3カメが撮っております。AV広しといえどもマルチで撮っているのはビデオインターナショナルの作品だけです!」とか言ってたんですよ。

──贅沢ですね。

竜二
贅沢なウンコでしょ。しかも売れたんですよ。アヌスシリーズっていってね、アヌスのつぶやき、アヌスのささやきとかいろんなシリーズが出来ました。そしたら、また社長から電話がかかってきて、「山本くん、売れてることは売れてるんだけど、最近ちょっと売れ行きが横ばいになってきてね。なにかアイデアないかね」ってウンコだけにもうひとひねりほしいってわけですよ(笑)。それで僕が「そうですねえ、もうウンコ食べてますしね、顔にもなすりつけてるでしょう。もう次やるとしたら、料理するぐらいしかないんじゃないですかね」っていったら、「山本くん、それだーッ! ウンコを料理しよう!!」ってことで『ウンコ3分間クッキング』っていうシリーズが増えるわけですよ(笑)。

──自分で増やしてしまったと(笑)。

竜二
最初はやっぱりウンコカレーね。次がウンコミートスパゲティ、あとはウンコ寿司。納豆巻きみたいにするの。海苔ひいて、ご飯ひいて、ウンコ置いて、よしずで巻いて、包丁で切って食べるんですよ。

──うわぁ~。

竜二
で、食べる時は北の方向を向いて食べたりするんですよ。

──恵方巻き(笑)!

竜二
幸運が来ますようにって。でも、運じゃないよ、ウンコだよって(笑)。

──身体張ったギャグですね(笑)。

竜二
そんなことをやってたら、「平凡パンチ」という雑誌がぜひ取材させてほしいと。担当は杉作J太郎さんで銀座のマガジンハウスに訪ねていったら地下の大きなスタジオに、ハリボテの巨大なウンコが作ってあって、僕が持つ用に大きなナイフとフォークも用意してある。あれは嬉しかったなあ。大部屋出身でしょ、自分のことなんて新聞や雑誌に取り上げられるなんてことがそれまでなかったんで、後生大事に残しておいたんですよ。そしたら、それを最初の嫁に見られて「あんたのやってる仕事ってこういうことなの! ポルノだけだって本当はいろいろ言いたいことがあるのにウンコ食べてるの、仕事で! 最低やな! もう私を取るか、ウンコを取るか、はっきりしてよ!」って言われてね(苦笑)。

──そんな選択でいいのかと思いますよね(苦笑)。

竜二
だってウンコは排泄物だよ、自分と排泄物を天秤にかけてどうするのと。「でも、あなたはウンコがそのぐらい好きなんでしょ」って言うから「好きでやってるわけじゃないよ」って言ったんですけど、結局離婚することになったんでウンコ取っちゃった結果になったんですよ(苦笑)。

──切ない話ですねえ。

竜二
ともかく嫁バレした時点でウンコの仕事は辞めたんですね。そしたら歌舞伎町を歩いてる時にいきなり「山本竜二さんですよね、生きてたんですか?」って言われたんですよ。「なんですか、生きてますよ」「いや、我々の間では山本竜二さんは死んだことになってます」っていうから「我々ってなんですか?」「僕らはウンコマニアなんです」って(笑)。彼らはウンコビデオしか見ないから、急に僕が出なくなったんで、ウンコの食べ過ぎで死んだんだって思ってたみたいなんですよ。「良かった、仲間に言っときます。ウンコ食べても全然大丈夫なんだ」って。「なんだよ、心配してたのはそっちかよ」っていう(苦笑)。

──本当に面白い人生を生きてますね(笑)。ところで、ひとつ質問があるんですけど、普通ウンコを食べませんかってオファーがきても、なかなか引き受けないと思うんですけど。

竜二
ふふふふ。これはね、太秦で、食えへん時にね、スタントマンみたいなことをやってたんでね。お城のお堀に後ろ向きにダ~ンって落ちたり、火の中を走らされたりね、死ぬなって思ったことは何回もありますよ。そんなんに比べたらウンコを食べるぐらい。

──いやあ、ウンコはウンコで厳しいッスけど(苦笑)。

竜二
まあ、そんなふうに解釈してやってたんですよ。しかも、京都にいた頃はやれどもやれども自分の手柄にならないわけじゃないですか。でも、ウンコはやればやっただけ評価してもらえるわけですからね。名前が残り、取材が来たりするわけですから。こっちのほうがクソ面白いなと(笑)。

──ただ、自伝を読ませていただいたんですけど、高校の時にお好み焼きデートして、彼女が鉄板にお好み焼きを吐いちゃったことがありましたよね。

竜二
そうそう。店員さんも周りのお客さんもドン引きですよ。それで彼女のことを思って、「頼んでもいないのにもんじゃ焼きが来たね」といって僕は食べたんですよ。

──うわあ~、想像するだけで凄まじい絵ですけど。でも、それって高校生の時ですよね。

竜二
そう。東京に来てからはディスコの帰りに中央線に乗って「気持ち悪い、吐きそうや」っていう彼女のために「しゃあないな、ここに吐け」って右の袖口から服の中に吐かせて、2回目は左で、3回目は胸元に吐かせて。「君のぬくもりを感じるよ」とかいっても「最低」とかいわれて。ゲロ食べた子も電車の中でゲロ吐いた子もそれっきり連絡がつかなくなって、俺の善意がわからんのかと!

──わかりにくいですよね(苦笑)。

竜二
いやいや、男はここまでやらなきゃダメなんですよ。タフじゃないとダメ! 杉良太郎じゃないけど、君は人のために死ねるかと。俺の場合は、人のために食えるかだけど、結局、僕の愛は伝わらないんだねえ。

──ゲロだけに酸っぱい思い出ですね(笑)。ともかくそれほど抵抗はなかったんですね。

竜二
まあ、普通の人よりはなかったかもしれないね。でも、自分の中ではあったんですよ。死ぬんちゃうかなって思いましたもん。だから、ゴックンはしなかった。

──どっちでも一緒ですよ!

竜二
いやいや違うんだって。さすがにゴックンすると身体が抵抗するんですよ。「山本竜二、それは食べ物じゃないぞ!」と。

──ワハハハハ!

竜二
ウンコ茶漬けの時なんて、永谷園のお茶漬けの元も入ってるから一瞬うまいんですよ。ご飯も上等なお米を使ってるからうまい。でも、コンマ数秒後にウンコの味がするんで「それは食べ物じゃない!」「戻せ! 出せ!」って(笑)。で、胸のあたりで心と身体の葛藤が始まって普通は口から出てくるんだけど、鼻からブワ~って出てきて鼻にウンコの匂いが染み付いてしばらく取れなくなって、息するたびにウンコの匂いがするという(笑)。

──壮絶ですね。ちなみに、お金のほうはどうだったんですか?

竜二
悪くなかったですよ。ウンコだけじゃなくてピンク映画や普通のAVにも出てましたから多い時には月に100万円ぐらいにはなってました。ただ、その前が全然食えなかったですからね。太秦の時もそうだったけど、そこを辞めて東京に出てきても仕事なんかないんですよ。仕方ないから昼間はテレビ局回ったりの営業をやって、夜に働く生活をずっとしてましたね。いろんな仕事をしましたよ。土方とか、呼び込みとかね。一番覚えているのは新宿のピンサロの仕事。でも、若くてね、やりたくてやってる仕事じゃないから、なんかこう惰性でやっちゃうんだな。それでホステスさんのウケが悪くてね。

──えっ、信じられないですけど。

竜二
態度悪かったんですよ。ホステスさんに呼ばれたら、「はい、ただいま」って片膝つかなきゃいけないんですけど、それがイヤで、ポケットに手を突っ込んで「なに? ああ、わかったわかった」ってこんな調子で。ホステスさんが「ちょっとあんた、なんなのその態度!」って怒っても、「なんや、オバハン、しょうもな。最低や、こんな仕事やってるヤツは」とか言って。

──のちのち自分がもっと最低なことをするのに(笑)。

竜二
そうそう! で、これはもうクビかなと僕は思ったんですよ。そしたら店長が心の広い人で、「お前、まだ仕事あるよ」って地下2階に連れていかれて。そこは潜水艦の中みたいに天井にパイプがいっぱい走ってて、ボイラーがあって熱いところでね。奥に先輩が二人いて、店長が「おい、山本! お前、今日からこの人たちと働け」って言うわけです。見たら一人は小人の方で、もう一人は凄い痩せた人なんですね。で、なにをするのかっていったら、ザーメンのついたおしぼり洗い(苦笑)。

──地下二階で小人とザーメン。どん底ですね、まさに。

竜二
それで、小人の方は梅ちゃんっていう人なんだけど、「お前、山本っていうのか、今日からよろしくな。俺は見てのとおり、身体がちっちゃいんでよ、うまく説明できねえからこいつのいうことちゃんと聞いてたら、仕事、早く覚えるからな」って言って痩せた人を指差すんですよ。でも、その人、実は唖の方で「おぅ、おぅ?」しか言えないの(笑)。

──シャレのわかる小人の方だったと(笑)。

竜二
いや、「よく聞きゃわかるんだよ!」って言ってたんですけどね(苦笑)。まあ、無茶苦茶な所でしたよ。忙しい時なんかおしぼりの数が間に合わなくなるから、ホステスさんたちから文句が出るんですね。そうすると、梅ちゃんが「おい、山本、真面目に働きすぎなんだよ、お前。相手も酔っぱらいだから忙しい時はな、見てろよ、洗わないの」って言って、ザーメン付いてるほうを裏にしてクルクルって丸めて出しちゃうの。「これで大丈夫なんだよ」って言われても心配ですからカーテンの隙間から見てると、お客さん、普通に顔拭いてんの(笑)。

──汚い! そんな生活をどのくらい続けたんですか?

竜二
一ヶ月。熱いんでね、汗が出てくるから額にブツブツが出てきたんですよ。俺は性病が感染ったかと思って、長谷川一夫さんじゃないけど、「役者は顔が命!」ってことで辞めることにしたら、梅ちゃんと唖の方が送別会をしてくれるっていうんです。野郎寿司っていまでもありますけど、歌舞伎町の風林会館の横に。あそこでおごってくれるっていうんで嬉しかったですよ。そしたらね、小人の梅ちゃんも唖の人も泣いてるんですよ。「なんで泣くんですか」って聞いたら「いや、やっとできた健常者の友達だったんだよ」って。それで俺ももらい泣きしちゃってね。なんで泣いたかっていうとね、夢に溢れて東京に出てきたのに、こう言ったら申し訳ないけど、いまこんな人たちに泣かれてるっていう自分の立場がどう考えても惨めで情けなくて。

──まあ、そのくらいどん底を味わわないと。

竜二
でもね、梅ちゃんは僕がね、ポルノ男優でバーっと出てきた時に風の便りで「山本竜二は昔、俺が面倒を見たんだ」って言ってるって聞いて、有難いなって思って。

──結局、そのバイトも大した金にはならなかったんですよね?

竜二
それはそうですよ。それで困ったなと思って当時付き合ってた大阪の彼女、最初の嫁さんになるんですけど、東京に呼んでヒモみたいな生活をしてたんですよ。で、千円ぐらいの小遣いをもらっちゃあ、新宿のしょんべん横丁で飲んでたんです。そこでポルノ映画の制作の方と知り合って、ピンク映画の道に入っていくわけです。

──彼女にはポルノに出ることになったってことは言ったんですか?

竜二
ちゃんといいましたね。「ポルノでも映画は映画だからね、いっときはしょうがないんじゃない。風間杜夫さんだってやってらっしゃったんだし」って理解はあったんですね。だけど、その理解を超えるような仕事までやるようになったんでねえ(苦笑)。

──とりあえず、ポルノで食いしのいで、一般作へというふうに望んでいたわけですよね。

竜二
なかなかそうはいかないんだよね。だって16年間ですよ。心の中ではもう無理だなと思ってましたね。もう僕は一生このピンク映画とか、AVでやっていくんだなあ。役者としてはこっちのほうだけなんだろうなと。でも、夢を捨てるのは辛いから、夢だけは捨てなかったね。だけども、現実的なことを考えるとじゃあどうなるのって。明日も明後日も来年もAVしかないじゃないって。でも、それでも奇跡は起きるんですよ。ミラクルなんです、すべて。ホン~ットにミラクル!

──ミラクルのきっかけはなんだったんですか? 

竜二
ポルノとAVが続いていた時に秋山豊さんって監督さんからね、出演依頼が来たんですよ。僕は当時ね、スタジオ83ってとこでね、AVに出てたんですよ。それが最低のAVでね、要するに消し忘れですよ。当時、ラブホテルでビデオを貸し出して、自分たちのセックスを撮るのが流行った時期があって、それをホテルの経営者の人がダビングしてAVメーカーに買ってくださいってやってたんですね。作品ともいえないようなそんな作品ですよ。そんなビデオを商品化するために、最初と最後に僕が解説を入れてたんですよ、淀川長治の格好して。「みなさん、またお会いしましたね、今日のビデオは凄いですよぉ。どこかのホテルの消し忘れ。ちょっと写真お願いします。出てる人。誰か知りませんねぇ。怖いですね、凄いですね、素人の方がこんなこと、あんなことするんですねえ、びっくりしますよ。それじゃあ、またあとでお会いしましょう」っていうのを最初に入れて、終わったあとも「見ましたか。怖かったですね、凄かったですね、あの女の方、顔に受けてましたねえ。『もっと頂戴』いうてました。怖いですね、あれ、人妻なんですって。浮気ですよ、夫婦と違います。こんなんバレたらどないなるんでしょうね。はい、ではまた次週お会いしましょう。さいならさいならさいなら」ってやってて。

──最高じゃないですか(笑)。

竜二
これを見た秋山豊さんっていう人が「こいつ、オモロイ」ということで、自分の監督デビュー作の『奥様はマゾ』というのに使ってくれて、以来秋山監督の作品は必ず出してもらうってことになったんですよ。その頃たまたま秋山監督も伸び盛りで『奥様はマゾ』の次はデビューしたばかりの島崎和歌子ちゃん主演の『乙女物語-あぶないシックスティーン』というのを撮りはって、それで一般ものに僕も久しぶりに出してもらって、監督が関西テレビの深夜のドラマを撮ることになった時もまた呼んでもらったんですね。それがまた評判良くて、関西テレビのプロデューサーから、『ふぞろいのイレブン』という新しく始まる青春サッカードラマで学校の先生役に推してもらったんですよ。

──それは結構大きい役ですよね?

竜二
そうなんです。レギュラーなんですよ。嬉しいことにそれを撮影する場所が僕の親父もいた、実は親父も佐々木小二郎って役者だったんですけど、兵庫県宝塚撮影所ってところだったんです。

──凱旋ですね(笑)。

竜二
そうなんですよ。太秦じゃなかったけど、ようやく関西に帰れた。それで行ったら、「お前は佐々木さんの息子さんやなあ。よう帰ってきたなあ」いわれて。その秋山監督のおかげでそこまでの仕事にたどり着いた。で、その番組の打ち上げの時にプロデューサーさんに呼ばれて「山本くん、良かったよ。賛否両論だったんだけど君を使うにあたっては。子供番組だけにね」って言われて。

──その頃はまだキチンとしたAV男優ですよね?

竜二
そう、キチンとしたAV男優(笑)。だって宝塚の守衛のおっさんがね、僕が来た時に、「えっ、あんたAVの人やな。宝塚でもそんなの始めるの?」「いや、違いますよ。子供のヤツでんがな」って言うたら「えっ! 子供の相手しまんの!?」「違いますよ、話にならへんわ!」いうて(笑)。それぐらい、みんなビックリしてて。でも、あれね、関西では金曜の夜7時から30分の番組で視聴率22%取ってたんですよ。だから、プロデューサーさんが「またAVに戻るのはもったいない」って言ってくれて、大きな事務所に推薦してくれたんです。僕はそこで初めてマネージャーがつくようになって、それも、そのマネージャーはたまたま太秦にしょっちゅういってはった人だったんですよ、営業で。「僕、太秦は強いです。任しといてください。竜二さん絶対に故郷に帰れますよ。もう少し時間をください」っていってくれはって。そしたら、本当に帰れたんですよ。一番最初は僕のいた映像京都っていう旧大映京都の残党が作った会社。そこの番組『盤嶽の一生』っていう時代劇に呼んでもらって、そのあとは『水戸黄門』『必殺』と東映、松竹、大映と全部帰れたんです。「よう帰ってきた! お帰り!」って言われましたよ。

──太秦出てから…。

竜二
16年。ちゃんと山本竜二様っていう控え室があってね、嬉しいですよ。ホテルもとってくれはって全日空ホテル。堀川の二条城の前の。最高で俺、泣けたわ。その代わり、ちょっと面白くないっていう人もいましたね。「ああ、そうか、東京行ってAVとかポルノやってたらちょっとええ役で帰れるんや。ふ~ん」とか「おい、山本、ちゃんと芝居してくれよ、何回も何回も通行人させられるのはかなわんしな。一回でOKだしてよ」って。「そんないじめんといてくださいよ」って言って一応先輩なんで。

──そういう嫌がらせも含めて帰ってきたなって感じですね。

竜二
そう。ほとんどは喜んでくれましたからね。メシが食えん頃に世話になった照明の方に「竜二、よう帰ってきた!」っていわれて照明パッと当ててもらった時は嬉しかったなあ。泣けますよ。撮影の時も「おい、監督、さっきから竜二見てみい、ええ芝居しとるやないけ、アップ撮ったれよ」っていってくれて、みんなも「そうや、そうや」って。監督も「そうやな」って言ってアップにしてくれて……。嬉しかったですよ。

 

──リアル蒲田行進曲ですね。

竜二
だから、奇跡は起きるんやな、と。

──だから、例えウンコ食ってても、夢は叶うってことですよね。自伝には「目の前のことを本気でやっていけば道はできる」というようなことを書かれてましたけど。

竜二
だから、継続は力なりですよ。ただし、生半可な継続じゃダメですよ。若い人には「続けていれば、時間はかかりますけど、どうにかなりますよ」といってあげたいね、僕がそうやったから。それと、自転車理論って本にも書いてるんだけど、例えば、役者を目指して東京来てはる人って多いよね。そうするとメシが食えんから土方やったり、副職をやる。そうすると本職の仕事が年に何回かしかないのね。それではダメなんです。どんなにマイナーな業界でもいいから金を貰ってやらないと。僕の場合はポルノ映画やAVだったけど、365日ほぼ毎日カメラの前に立ってたから、自転車でいうと上等な自転車じゃない、ボロボロの自転車だけど、毎日乗ってた。そうすると、横から急に子供が出てきたり、車が出てきても対処できるんですよ。でも、一年に何回かしか乗らない人はバーンってぶつかってしまう。どんな自転車でもいいから乗り続けてないとダメですよって。いまでもたまにいい自転車しか乗りたくない人たちと共演することがあるんですよ。そういう人たちは楽屋では偉そうなこと言ってても、現場にいったら手がカタカタ震えてるんですよ。

──なんでもいいから現場にいなさいと。

竜二
その代わり、どんな現場であっても流してやっちゃダメです。どんな最低の現場であっても、どんな最低の作品であっても絶対に俺だけはオモロイと言われるようにやらないといけないんです。

──きつい時代をしのぐ時の考え方ってなにかありますか?

竜二
う~ん、僕は3段階のことしかしないです。問題が起きたら、みんな最初は「えらいこっちゃ」と驚くでしょ。次は「どないしよ?」と思案する。でも、3つ目がたぶん違ってて「ま、ええわ」ってコレですわ。ま、どうにかなるわっていうのが秘訣といえば、秘訣。深く考えないってところですね。実は、今日現在もね、「殺す」っていう人に脅迫されてるの。いまも乗り込んでくるかもわからへん。怖いけどね、ケセラセラ。それが僕のしのぎ方ですね。

※ペキンパー第弐号にはインタビュー本文に加え、付録DVDにインタビューの様子や特別映像が収録されています!

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「ヤクザから一番ヤクザらしい格好だっていわれたよ」素人喧嘩<ステゴロ>インタビュー 真樹日佐夫 第02回

[:ja]

2011年10月 写真:川保天骨 インタビュー:中村カタブツ君 協力:(株)真樹プロダクション

※このインタビューは、ペキンパー第弐号に収録されたものをPECKINPAH DIGITAL掲載用に編集したものです。

※インタビュー第01回はこちら。

──先生、男ってよくメンツにこだわるっていいますが、あれはどうなんですか。

真樹
メンツ、メンツっていうのは、気持ちはわかるが、俺なんかはあんまり考えたことはねえな。ダメな時にメンツだけにこだわってると繕いようがなくなり、そこでギブアップだよ。ということはメンツなんていらねえってことになるよな。それよりも自分との戦いだよ、大事なのは。実をいうと戦いにおける強さってことについちゃ、俺は人の意見とちょっと違うんだな。多くの師範たちは稽古して強くなれっていうけれども、自分より強い奴にはいくら稽古しても勝てないよ。そんなこと俺が大きい声でいうのもなんなんだけど(苦笑)。
じゃあ、なんのために空手をやってるのかといえばさ、一番の強敵は自分だからだよ。もう一人の自分との戦いの繰り返しで男っていうのは生きてるようなもんなんだ。俺にしたって、稽古もしないで酒を飲みたがるもう一人の自分がいる。同時に「それじゃあちょっとまずいんじゃないか」と思う自分がいて、そのせめぎ合いだな。で、しょうがねえから9時半までやるかって。要するに克己心ということで、一番強敵なのはもう一人の自分なの。その自分に勝った時の小さな達成感が毎日あるわけ。今日は20キロ走りたくないと思ってたのが走れた。そういうごく身近な達成感が、人間がくたばらないで強くいきていける原動力になってると思う。大きい達成感っていうのはそうそうクリアできないだろ。たとえ設定したところで達成できなければしょうがねえ。小さな達成感をクリアしていくことが大切なんだよな。

──それが瞬間瞬間の真剣勝負ってことなんですね。

真樹
そういうことにつながっていくよな。

──先生の場合、メンツでいうと自分がどうのこうのっていうよりも仲介役に回ることが多いですよね。極真会が分裂した時もそうですし、犬猿の仲といわれた佐山聡さん(初代タイガーマスクにして現・掣圏真陰流興義館総監)と前田日明さん(総合格闘技リングス CEO 。現在不良格闘技 THE OUTSIDER を主催)を対談の席につけた時なんかもそうですけど、あんな大変なことをなぜ引き受けるんですか。

真樹
だって佐山と前田の両巨頭をあのまんまにしておくほうがおかしいだろう。昔、あれほど熱く戦った二人をさ、あのまま仲違いさせちゃったままリタイアさせちゃったら、それはやっぱり格闘技界の損失だよ。俺は巨視的に捉えて考えるわけだ。同じ会場に居合わせるだけでも奇跡だっていわれてた二人を俺が「来い、来い」といって『週刊文春』で対談させて、最後に佐山が「前田、今日はお前に会えて良かったよ」って。2時間の苦難の末にだよ。最初の1時間ぐらい二人とも一言も口きかねえんだ。俺ばっかワイン飲んで酔っ払っちゃったよ(苦笑)。で、佐山は飲めねえだろ。前田に付きあえてっていったら「自分は今日は車ですから」って。「もうお前らなんか喋れ」って俺が切れちゃってさ(笑)。で、喋ったのがやっと1時間ぐらい経ってからだよ。俺は前田も可愛いし、佐山も可愛い。二人がいる格闘技界も大事だよ。大山先生に会う前からやってた柔道を含めていうともう60年以上いる世界だからね。いまはちょっと景気が悪くてプロ格闘技界も大変だけど、プロだけが格闘技とはいえねえからな。

──極真が割れた時も両方の組織から間に立ってくださいっていわれてましたよね。

真樹
そうだけど、俺は割れたのなんか今でも認めてねえ。単なる仲間割れだ、兄弟喧嘩だ。早くいい加減仲直りしろって。ずいぶん前に、ある極真の人間と飲んだけど、「先生のことは大好きなんですけど、自分の嫌いなヤツのことも可愛がってるからイヤだ」とか言ってさ。「お前なんだ、その女々しさは」って(笑)。おもしれえだろ。最近の奴っていうのは大概こうなんだよ。男の焼きもちは女よりも始末が悪い。女性の焼きもちなんて可愛らしいもんだよ。「私とあの人とどっちが大事なの!」って。そんなの「どっちも可愛いよ。3 P やるか?」っていったら、それで終わっちゃう(笑)。だってどっちも本当に可愛いんだからベッドにおいでだよ。

──メンツにこだわるっていうのもどこか嫉妬に似た感覚なんですかね。

真樹
だから、俺は『格闘家は女々しい奴が9割』(東邦出版)って本を書いたろ。あれを前田にプレゼントだって渡したんだよ。そしたらジーッと表紙を見てて、「先生、格闘家は女々しいヤツが9・9割です」って 吐 ( ぬ ) かしやがった。「じゃあ、残りの0・1割にきみも入るわけか」っていってやったら赤くなってたけどな(笑)。ただなあ、女々しいから弱いんじゃない。女々しいから自分の逃げ道を、自分の生き延びる道を考えるから負けないんだね。弱さを持っていない人間なんていないよ。弱さなんかないって言い切れる人間と酒飲んだって面白かないよ。弱さはみんな平等にあって、それを克服しようとするだろう、普通の人間なら。それで克服できたらそこで終わりじゃなくて、また別の弱さが出てくるんだよ。次から次へと押し寄せてくる、それとの格闘でもあるわけだよな、男が生きるってことは。その弱さから逃げちまう手もあるけど、その瞬間だよ、男の生き方が小さくなるのは。逆に逃げなければ、死ぬまでやっぱり苦しさは続く。だけど、それをあえて甘受するのが強さを知るっていうことになるんじゃねえか。だから、強さを知ることは弱さを知ることと背中合わせよ。しかしだからといって人に俺の弱点はこうだっていうヤツもいねえだろ(笑)。強さもひけらかすとアホみたいだし、弱さも吹聴すればバカみたいなもんだしさ。だから、男はつらいよ、なんだよ。

──両方人には言えないと。

真樹
しゃべれないよ。男は黙って真剣勝負なんだよ。女性はワーワー言って、ガーッと泣いて涙の許容量以下になればあとはニッコリできる。バケツ一杯だったものが七分目ぐらいまで減れば泣きやんでニッコリできるんだよ。だけど、男の涙っていうのはそういうもんじゃないんだ。全部空っぽになる時以外は泣かない。それぐらいは男として生まれてきたからには男の宿題というかさ、手前に課していかなければ甲斐がないんだ。違うか?

──強さも弱さも黙って我慢するんですか。

真樹
だってさ、男はこういうもんだとか言うという以前に、やっぱり最終的には女性を守んなきゃいけない立場だろ。女性は子孫を増やさなければいけない立場で、その女性を守ってやらなければ子孫なんて増えていかねえんだから。だから、男と女の違いっていうのはあるんだけど、男らしさ、女らしさっていうのは立場の違いだけでしかないよ、突き詰めていっちまえば。だから、男が男らしくあろうというのは自分が守んなきゃなんない女との出会いがあって、この女をどうしたら守ってやれるかという努力を人知れずするところなんだな、やっぱりな。

──なんのために強くならなければいけないかその根本を踏まえなければ、強さに意味なんかないと。

真樹
そういうことだよ。それにやっぱり女性は可愛いしな、いないと困るだろ(笑)。

 

──最後に、先生のファッションについてもお聞きしたいんですが。

真樹
ファッション? ああ、俺はいまやグラビアアイドルだからな(笑)。

──ホントに昔から格好良いと思ってたんですけど(笑)。

真樹
変わらねえだろ? 村上竜司(世界空手道連盟士道館・士魂村上塾塾長)に「先生、服装が 50 年変わってないですね。 20 歳の時から 70 まで同じ格好ができるのが凄い」っていわれたけど、あれは褒めてるわけじゃねえよな(笑)。

──いえいえいえ。ちなみに洋服は業者さんが道場まで持ってきて、それで選ぶんですよね?

真樹

そうだよ。店に行くヒマがねえから、ちっちゃいトラックみたいなのでハンガーにぶら下げて運んできてそこから選ぶんだな。プレタポルテならそうだな。生地から選ぶオートクチュールは最近あんまりやってねえな。

──プレタポルテとオートクチュール(笑)! 

真樹
だいたいシーズンごとに一年に4回は来るよな。あと海外では目についたものを買うよ。空のスーツケースを持って行って、一杯にして帰ってくる。俺もヒマがあればショッピングは嫌いじゃねえからな。たとえば、最近は東南アジアによく行くんだけど、スーツケースを一杯にして日本を出てもな、向こうに行くと合わないんだ。やっぱり現地は日本でイメージしていっても気候も雰囲気も違うんだな。だったら、現地で買ったほうが手っ取り早いだろ。それで帰りに一杯にして帰ってくる。

──現地調達が一番。

真樹
ちょっと前にベストセラーになった『人は見た目が9割』(竹内一郎著)って本があったけど、大事なんだ、服装って。日本人っていうのは武士の時代の頃から妙なやせ我慢の美学があって“男子は辺幅を飾らず”といってな。身の回りのことを気にしてるヒマがあったら内面を向上させろっていう考え方だ。男がお洒落にこだわるのは女々しいってことなんだけど、絶対そうじゃない。人の印象っていうのが見た目で九割決まるとすれば、大事な才能のひとつだよな。そう考えないと話があわなくなる。それは食い物と比べればよくわかる。食えればなんだっていいって奴もいるだろ? ご馳走なんて考えないんだな。満腹になればなんだっていい。そういうのと同じで着れればなんでもいい、裸が隠れればなんでもいいっていうね。本当は裸が一番楽だけど着る以上はさ、ちっとはほかの奴と違った格好をするべきだよ。ところが、いまの若い奴っていうのはほかと同じ格好をしたがるんだよな。そうしないと不安なんだよ、自分だけ、一人で浮いっちゃうとかいって。俺なんか中学の時に親父の背広を着て学校に行って、よく立たされたもんだぜ(笑)。

──中学の時から(笑)。

真樹
だって、面白くもなんともねえだろ、来る日も来る日も詰襟じゃあ。それがいまはみんなと一緒でいたいという発想なんだな。だから、若い連中は“なんとかファッション”とかって決まってきちゃう。

──結局パターン化されてしまいますね。

真樹
それならそれでもいいけどさ、どうせなら 10 人いたら俺が一番目立つというぐらいは考えねえと。目立ってなんぼの世界ではないにしても、少しはそういうのもあっていいよな。

──ちょっと言いにくいんですが、先生のファッションはヤクザの方たちよりもヤクザ的で目立つというか(笑)。

真樹
ヤクザから「一番ヤクザらしい格好だ」って言われたんだから(笑)。大阪の街を4人で歩いて、俺だけがカタギであとはみんなヤクザなのに「なんか親分みたいですね」って言われてな(笑)。排除条例とかあるから、いまは一緒に歩くこともできねえけどな。

──だから、いまやあちらの世界でもファッションリーダーというか(笑)。

真樹
ガハハハ! だからって昔と同じ格好をしてるだけなんだよな。俺は中間色とかボケた色は嫌いだからだいたい原色になるんだよな。それだけの話だよ。

──服装にこだわるっていうのはきちん見栄を張るっていうことにもつながるんですか?

真樹
いや、見栄じゃなく見映えだ。見栄を張ってるわけじぇねえんだ。醜さを消して、人にいい印象を与えたいっていうのは見栄じぇねえだろう。相手に協力的な態度を取って、相手に不快感を与えないというのが見映えだ。だけど、見栄というのは自分だけが背伸びして相手のことなんかどうでもいいっていう考え。相手が主になるか、自分が主になるかは大きな違いだよ。見映えにこだわるというのは、相手から自分を見ているという一つの認識であり、それはやっぱり自分の責任感でもあるわけだしな。

──ファッションひとつとっても奥が深いですね。今日は勉強になりました!

真樹
ああ。こんな話でよければいつでも聞きにおいで(笑)。

 

[:en]

2011年10月 写真:川保天骨 インタビュー:中村カタブツ君 協力:(株)真樹プロダクション

※このインタビューは、ペキンパー第弐号に収録されたものをPECKINPAH DIGITAL掲載用に編集したものです。

※インタビュー第01回はこちら。

──先生、男ってよくメンツにこだわるっていいますが、あれはどうなんですか。

真樹
メンツ、メンツっていうのは、気持ちはわかるが、俺なんかはあんまり考えたことはねえな。ダメな時にメンツだけにこだわってると繕いようがなくなり、そこでギブアップだよ。ということはメンツなんていらねえってことになるよな。それよりも自分との戦いだよ、大事なのは。実をいうと戦いにおける強さってことについちゃ、俺は人の意見とちょっと違うんだな。多くの師範たちは稽古して強くなれっていうけれども、自分より強い奴にはいくら稽古しても勝てないよ。そんなこと俺が大きい声でいうのもなんなんだけど(苦笑)。
じゃあ、なんのために空手をやってるのかといえばさ、一番の強敵は自分だからだよ。もう一人の自分との戦いの繰り返しで男っていうのは生きてるようなもんなんだ。俺にしたって、稽古もしないで酒を飲みたがるもう一人の自分がいる。同時に「それじゃあちょっとまずいんじゃないか」と思う自分がいて、そのせめぎ合いだな。で、しょうがねえから9時半までやるかって。要するに克己心ということで、一番強敵なのはもう一人の自分なの。その自分に勝った時の小さな達成感が毎日あるわけ。今日は20キロ走りたくないと思ってたのが走れた。そういうごく身近な達成感が、人間がくたばらないで強くいきていける原動力になってると思う。大きい達成感っていうのはそうそうクリアできないだろ。たとえ設定したところで達成できなければしょうがねえ。小さな達成感をクリアしていくことが大切なんだよな。

──それが瞬間瞬間の真剣勝負ってことなんですね。

真樹
そういうことにつながっていくよな。

──先生の場合、メンツでいうと自分がどうのこうのっていうよりも仲介役に回ることが多いですよね。極真会が分裂した時もそうですし、犬猿の仲といわれた佐山聡さん(初代タイガーマスクにして現・掣圏真陰流興義館総監)と前田日明さん(総合格闘技リングス CEO 。現在不良格闘技 THE OUTSIDER を主催)を対談の席につけた時なんかもそうですけど、あんな大変なことをなぜ引き受けるんですか。

真樹
だって佐山と前田の両巨頭をあのまんまにしておくほうがおかしいだろう。昔、あれほど熱く戦った二人をさ、あのまま仲違いさせちゃったままリタイアさせちゃったら、それはやっぱり格闘技界の損失だよ。俺は巨視的に捉えて考えるわけだ。同じ会場に居合わせるだけでも奇跡だっていわれてた二人を俺が「来い、来い」といって『週刊文春』で対談させて、最後に佐山が「前田、今日はお前に会えて良かったよ」って。2時間の苦難の末にだよ。最初の1時間ぐらい二人とも一言も口きかねえんだ。俺ばっかワイン飲んで酔っ払っちゃったよ(苦笑)。で、佐山は飲めねえだろ。前田に付きあえてっていったら「自分は今日は車ですから」って。「もうお前らなんか喋れ」って俺が切れちゃってさ(笑)。で、喋ったのがやっと1時間ぐらい経ってからだよ。俺は前田も可愛いし、佐山も可愛い。二人がいる格闘技界も大事だよ。大山先生に会う前からやってた柔道を含めていうともう60年以上いる世界だからね。いまはちょっと景気が悪くてプロ格闘技界も大変だけど、プロだけが格闘技とはいえねえからな。

──極真が割れた時も両方の組織から間に立ってくださいっていわれてましたよね。

真樹
そうだけど、俺は割れたのなんか今でも認めてねえ。単なる仲間割れだ、兄弟喧嘩だ。早くいい加減仲直りしろって。ずいぶん前に、ある極真の人間と飲んだけど、「先生のことは大好きなんですけど、自分の嫌いなヤツのことも可愛がってるからイヤだ」とか言ってさ。「お前なんだ、その女々しさは」って(笑)。おもしれえだろ。最近の奴っていうのは大概こうなんだよ。男の焼きもちは女よりも始末が悪い。女性の焼きもちなんて可愛らしいもんだよ。「私とあの人とどっちが大事なの!」って。そんなの「どっちも可愛いよ。3 P やるか?」っていったら、それで終わっちゃう(笑)。だってどっちも本当に可愛いんだからベッドにおいでだよ。

──メンツにこだわるっていうのもどこか嫉妬に似た感覚なんですかね。

真樹
だから、俺は『格闘家は女々しい奴が9割』(東邦出版)って本を書いたろ。あれを前田にプレゼントだって渡したんだよ。そしたらジーッと表紙を見てて、「先生、格闘家は女々しいヤツが9・9割です」って 吐 ( ぬ ) かしやがった。「じゃあ、残りの0・1割にきみも入るわけか」っていってやったら赤くなってたけどな(笑)。ただなあ、女々しいから弱いんじゃない。女々しいから自分の逃げ道を、自分の生き延びる道を考えるから負けないんだね。弱さを持っていない人間なんていないよ。弱さなんかないって言い切れる人間と酒飲んだって面白かないよ。弱さはみんな平等にあって、それを克服しようとするだろう、普通の人間なら。それで克服できたらそこで終わりじゃなくて、また別の弱さが出てくるんだよ。次から次へと押し寄せてくる、それとの格闘でもあるわけだよな、男が生きるってことは。その弱さから逃げちまう手もあるけど、その瞬間だよ、男の生き方が小さくなるのは。逆に逃げなければ、死ぬまでやっぱり苦しさは続く。だけど、それをあえて甘受するのが強さを知るっていうことになるんじゃねえか。だから、強さを知ることは弱さを知ることと背中合わせよ。しかしだからといって人に俺の弱点はこうだっていうヤツもいねえだろ(笑)。強さもひけらかすとアホみたいだし、弱さも吹聴すればバカみたいなもんだしさ。だから、男はつらいよ、なんだよ。

──両方人には言えないと。

真樹
しゃべれないよ。男は黙って真剣勝負なんだよ。女性はワーワー言って、ガーッと泣いて涙の許容量以下になればあとはニッコリできる。バケツ一杯だったものが七分目ぐらいまで減れば泣きやんでニッコリできるんだよ。だけど、男の涙っていうのはそういうもんじゃないんだ。全部空っぽになる時以外は泣かない。それぐらいは男として生まれてきたからには男の宿題というかさ、手前に課していかなければ甲斐がないんだ。違うか?

──強さも弱さも黙って我慢するんですか。

真樹
だってさ、男はこういうもんだとか言うという以前に、やっぱり最終的には女性を守んなきゃいけない立場だろ。女性は子孫を増やさなければいけない立場で、その女性を守ってやらなければ子孫なんて増えていかねえんだから。だから、男と女の違いっていうのはあるんだけど、男らしさ、女らしさっていうのは立場の違いだけでしかないよ、突き詰めていっちまえば。だから、男が男らしくあろうというのは自分が守んなきゃなんない女との出会いがあって、この女をどうしたら守ってやれるかという努力を人知れずするところなんだな、やっぱりな。

──なんのために強くならなければいけないかその根本を踏まえなければ、強さに意味なんかないと。

真樹
そういうことだよ。それにやっぱり女性は可愛いしな、いないと困るだろ(笑)。

 

──最後に、先生のファッションについてもお聞きしたいんですが。

真樹
ファッション? ああ、俺はいまやグラビアアイドルだからな(笑)。

──ホントに昔から格好良いと思ってたんですけど(笑)。

真樹
変わらねえだろ? 村上竜司(世界空手道連盟士道館・士魂村上塾塾長)に「先生、服装が 50 年変わってないですね。 20 歳の時から 70 まで同じ格好ができるのが凄い」っていわれたけど、あれは褒めてるわけじゃねえよな(笑)。

──いえいえいえ。ちなみに洋服は業者さんが道場まで持ってきて、それで選ぶんですよね?

真樹

そうだよ。店に行くヒマがねえから、ちっちゃいトラックみたいなのでハンガーにぶら下げて運んできてそこから選ぶんだな。プレタポルテならそうだな。生地から選ぶオートクチュールは最近あんまりやってねえな。

──プレタポルテとオートクチュール(笑)! 

真樹
だいたいシーズンごとに一年に4回は来るよな。あと海外では目についたものを買うよ。空のスーツケースを持って行って、一杯にして帰ってくる。俺もヒマがあればショッピングは嫌いじゃねえからな。たとえば、最近は東南アジアによく行くんだけど、スーツケースを一杯にして日本を出てもな、向こうに行くと合わないんだ。やっぱり現地は日本でイメージしていっても気候も雰囲気も違うんだな。だったら、現地で買ったほうが手っ取り早いだろ。それで帰りに一杯にして帰ってくる。

──現地調達が一番。

真樹
ちょっと前にベストセラーになった『人は見た目が9割』(竹内一郎著)って本があったけど、大事なんだ、服装って。日本人っていうのは武士の時代の頃から妙なやせ我慢の美学があって“男子は辺幅を飾らず”といってな。身の回りのことを気にしてるヒマがあったら内面を向上させろっていう考え方だ。男がお洒落にこだわるのは女々しいってことなんだけど、絶対そうじゃない。人の印象っていうのが見た目で九割決まるとすれば、大事な才能のひとつだよな。そう考えないと話があわなくなる。それは食い物と比べればよくわかる。食えればなんだっていいって奴もいるだろ? ご馳走なんて考えないんだな。満腹になればなんだっていい。そういうのと同じで着れればなんでもいい、裸が隠れればなんでもいいっていうね。本当は裸が一番楽だけど着る以上はさ、ちっとはほかの奴と違った格好をするべきだよ。ところが、いまの若い奴っていうのはほかと同じ格好をしたがるんだよな。そうしないと不安なんだよ、自分だけ、一人で浮いっちゃうとかいって。俺なんか中学の時に親父の背広を着て学校に行って、よく立たされたもんだぜ(笑)。

──中学の時から(笑)。

真樹
だって、面白くもなんともねえだろ、来る日も来る日も詰襟じゃあ。それがいまはみんなと一緒でいたいという発想なんだな。だから、若い連中は“なんとかファッション”とかって決まってきちゃう。

──結局パターン化されてしまいますね。

真樹
それならそれでもいいけどさ、どうせなら 10 人いたら俺が一番目立つというぐらいは考えねえと。目立ってなんぼの世界ではないにしても、少しはそういうのもあっていいよな。

──ちょっと言いにくいんですが、先生のファッションはヤクザの方たちよりもヤクザ的で目立つというか(笑)。

真樹
ヤクザから「一番ヤクザらしい格好だ」って言われたんだから(笑)。大阪の街を4人で歩いて、俺だけがカタギであとはみんなヤクザなのに「なんか親分みたいですね」って言われてな(笑)。排除条例とかあるから、いまは一緒に歩くこともできねえけどな。

──だから、いまやあちらの世界でもファッションリーダーというか(笑)。

真樹
ガハハハ! だからって昔と同じ格好をしてるだけなんだよな。俺は中間色とかボケた色は嫌いだからだいたい原色になるんだよな。それだけの話だよ。

──服装にこだわるっていうのはきちん見栄を張るっていうことにもつながるんですか?

真樹
いや、見栄じゃなく見映えだ。見栄を張ってるわけじぇねえんだ。醜さを消して、人にいい印象を与えたいっていうのは見栄じぇねえだろう。相手に協力的な態度を取って、相手に不快感を与えないというのが見映えだ。だけど、見栄というのは自分だけが背伸びして相手のことなんかどうでもいいっていう考え。相手が主になるか、自分が主になるかは大きな違いだよ。見映えにこだわるというのは、相手から自分を見ているという一つの認識であり、それはやっぱり自分の責任感でもあるわけだしな。

──ファッションひとつとっても奥が深いですね。今日は勉強になりました!

真樹
ああ。こんな話でよければいつでも聞きにおいで(笑)。

 

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「男っていうのは、女じゃねえってだけの話だ」素人喧嘩<ステゴロ>インタビュー 真樹日佐夫 第01回

[:ja]

2011年10月 写真:川保天骨 インタビュー:中村カタブツ君 協力:(株)真樹プロダクション

強くなければ男じゃない! 格好良くなければ男じゃない! 優しくなければ男じゃない!
しかし、 男ってそもそも何なんだ? 読者諸君! 我々日本男子は今、世界において、その存在意義を問われている。明確にこれが男であるという答えはないかもしれない。しかし、男はいるんだよ! 漢が!
空手家、作家、そして、男としての真樹日佐夫に挑んでいくしか答えは出ない! 刮目して読め!

※このインタビューは、ペキンパー第弐号に収録されたものをPECKINPAH DIGITAL掲載用に編集したものです。

 

真樹
今日はスーツ着て写真も撮るんだろ? だったら撮影はここじゃないほうがいいな。インタビューはここでいいけど、写真は外だ。今日は残暑がきついだろ、部屋の中でスーツなんか着てられねえって。それにあれだ、スーツっていうのはアウトドアファッションだからな。靴を履かないと決まらねえんだよ。

 

 

──スーツはアウトドアファッション! 最初から凄く小気味の良い言葉が聞けて嬉しいです(笑)。

真樹
おだてたってなんにも出ねえぞ(笑)。ただな、この前、俺を表紙にした『実話マッドマックス』って雑誌がずいぶん売れたそうじゃねえか。俺はもう 70 だぞ。なんで売れるんだって。これは若いヤツらがちょっとだらしないんじゃないか。

──いえいえ、先生が凄すぎるんです。ファッションといい、生き方といい、本当に格好良いんですよ。

真樹
まあ、みんなそう言って俺を持ち上げてくれるけどな、この前だって気がつくと渋谷の歩道橋の上で不良たちを連れてグラビア写真撮らされてたんだよ。通行人もいるんだからさ、いくらなんでも恥ずかしいよ、俺も(笑)。

──いやいや、ホントに絵になるんですって。だから、今日はそんな男らしい先生に男はどう生きるべきかをお聞きしたいと思っているんですね。ただ、男とはなんですか、男の生き方とはなんですかって質問も凄く漠然としてるじゃないですか。

真樹
ああ、最近そんな質問ばっかだよ。男っていうのは女じゃねえってだけの話だ。

──そんなにこだわるようなことではないと。

真樹
そりゃそうだろ。放っておいたって玉がついてりゃ男だよ。ただそこに敢えて意味合いを見出す作業というのは大切かもしれないな。

──まあ、それで男の意味とはなにかを考える上で強さではなく、逆に弱さについて考えたほうが男の生き方って見えやすいのかと思ったんですけど。で、非常に言いづらいんですが、たとえば先生であっても、全盛期と比べたらやっぱり体力的には、いまどこかで弱さを感じてるんではないですか。

真樹
それは話が逆でさ、衰えたと思う時に年を食うんだよ。だから、年相応のトレーニングじゃダメなんだよ。いま若い時の倍走ってるよ。昔 10 キロだったのが、いま1日 20 キロ。要するに、運命に逆らう。年を取ったら老けて弱くなるのは当たり前。その当たり前のことに逆らえるかどうかだから、やっぱりこれは内面の問題だよな。それが精神修養につながっていくんだよ。神様に逆らうんだよ。

──神様に逆らう! 

真樹
そうだろ? そうしねえと普通の生き物になってしまうんだよ。

──いやあ、ビックリしました。僕はたぶん、先生なりに年を取ったことの弱さを受け入れる作業をしているのかなって思ってたんです。

真樹
そんなことはしてねえな。そうしたほうが楽に老けていけそうだってみんな勘違いするんだよ。だけど、それは逆でそんなことを考えると倍々で老けこんじまう。いまの若い奴らに「なんだ、この野郎」ってのしかかっていかなきゃダメだ。それができるか、できねえか。そう考えると俺はいま幸せだよ、若い弟子たちが追い上げてくるのを「冗談じゃねえ、まだ先にはいかさねえて」ってできるから。人間って生来が怠け者なんだから、そうやって追い上げてきてくれて初めてやる気が出たりするんだな。
まあ、俺の目標は日野原(重明=聖路加病院理事長、名誉院長)先生だよ。この前めでたく100歳になっただろ。その時あと 10 年は頑張れるって言ったらしいよ。毎日夜中の2時まで原稿書いて、週に一回血の滴るようなステーキを食うのが楽しみだっていうんだよね(笑)。こういう人間を神様は死なせねえよ。

──日野原先生って大山総裁(極真会館・大山倍達総裁。真樹先生の空手の師であり、義兄弟)がお亡くなりになられた時に主治医をされてましたよね。

真樹
そうそう。聖路加に大山先生が入ってて日野原先生が診てくれてた。だから、当時はよく会ってたよな。浅田次郎って作家がいるだろ。彼の持論だと、最近じゃ人の年は七掛けでいかないと計算があわなくなるそうだ。つまり100歳でやっと 70 歳の計算だ。だから、日野原先生は 70 ぐらいの元気さでちょうど計算も合う。俺にしても 70 の七掛けだと7×7= 49 でまあ 50 歳だよ。そうするとなんとなく実感とマッチするんだよ。 30 の女と愛を語れるかもわかんない(笑)。でも、もう娘も 30 だからな。昔は娘よりも若いのには手を出さねえとか言ってたけどさ、この間もな……まあ、それ以上はいいやなあ(笑)。

──活字になるという冷静さもおありになって(笑)。

真樹
もちろん(笑)。

──いまのお話を聞いてますますお元気だということはよくわかったんですが、空手家という強さを売りにする方は弱さを実感するのもひとしおだと思うんですよね。だから、どこかで弱さを受け入れてうまい身の処し方を身に付ける。ヤクザの人たちの言うところの鎧を身に付けるみたいな方法をしているのかと思ったんですけど違いましたね。

真樹
なんかさっきから聞いてると俺のことを弱くなって角が取れたみたいにしたいようだけど、残念だな(笑)。鎧なんていらねえよ、筋肉が鎧だよ。まあ、あと 20 年もしたらそんなものがいるかもしれねえけど、まだ着たくねえな。第一そんなものを着たら、中身が萎んできちまうだろう。
凄くわかりやすい話をしてやろうか。こないだ、『サンデージャポン』でテリー伊藤が「今度スタジオに来て瓦でも割ってもらいましょうか」って言ったんだよ。だから、俺は「瓦なんか女の子でも割れる。ブロック割りだ」って突っ張ってブロック割りになったんだね。少年部の空手の合宿を江ノ島でやったんで、そこにサンジャポのスタッフが来て撮ることになったんだよ。ブロックはスタッフが用意して「先生、試割り用のブロックが手に入らなかったんで、建築用のでいいですか」っていうから、「それでいいよ」ってことでブロックを一つ、二つと積み上げたんだよな。そしたらディレクターがすっとんで来てさ、「先生一つで十分です」って耳打ちするんだよ。「なんで? 俺はニ個割るっていっただろ」っていってもさ、「失敗したら周りで見てる子供のお弟子さんたちが悲しむ」とか「一個で十分視聴者は驚きますから」とか、どうのこうのいうんだよ。それでも「いいから」っていったらさ、今度は弟子が寄ってきてさ「先生、やっぱり一つでどうですか?」ってこうだ。「お前、俺のことが信じられねえのか。二個割るっていったら二個だよ!」って、みんなの反対を押し切って手刀をブロックに落としたら一発で割れてね、その瞬間に「三個でもいけたかもな」って思ったよ、俺は。

──二個じゃ物足りなかったんですか !?

真樹
三個だったらやっと割れたかもなってイメージだな。この間、東(東孝。極真空手・第9回全日本空手道大会優勝。現在、大道塾塾長)くんがひょっこり現れて、彼と一杯やりながら話をしてたら東くんもブロック二個はやったことないんだってな、公衆の面前では。失敗しねえんだろうけど、大山先生が二個はやるなと。もし失敗したらテレビやなんかで全国に知れちゃうからと禁止してたそうなんだね。だから、映像で出回ってるブロック二個割りは俺のだけだってことなんだよ。テレビの映像でいうと、 20 年ぐらい前に俺と猪木と藤原敏男が出た時に一回俺が失敗したんだ、軸足が滑って。それでド?ンと吹っ飛んだら猪木が笑ったっていうんで波紋をひろげたろ?

──見ました。猪木さんも人の失敗が好きな人ですからね(笑)。

真樹
「猪木の野郎さらってやりましょうか」ってなんて言い出すヤツまでいて「やめろ」って俺も慌てて(笑)。その時だって二回目に手刀を落としたら二個とも割れたからね。 50 の時にやれたんならいまやれねえわけがねえって。

──つまり 20 年ぶりだったんですか !?

真樹
そうだよ。弟子がそのあとにやってきて、「いやあ、力が落ちてない証拠ですね」って。つい今年の春だよ。あの時周りのいうとおりに一個にしてたらやっぱりてめえでてめえが嫌になっただろうな。

──これはいけるか、いけないかっていう葛藤があった中で…。

真樹
いや、葛藤なんてもんはなかったよ。「割るって決めたら割るんだ、だから、引っ込んでろ、このオタンコナス」っていう気持ちだったな。あれは『最強最後のカラテ』って映画のオープニングパーティーの時だったか、ブロックが雨で濡れてて割れねえで苦労してさ。それで右手が折れちゃって、しょうがねえ、左で割った苦い思い出があるけど。とにかく割るんだよ、決めたからにはな。右手が折れたら左手。左手も折れたら両足があるだろ。4回もチャンスがあれば大丈夫。ブロックのほうがいじけるよ(笑)。

──“とにかく割る”というのは手足が折れてもという意味だったんですね。

真樹
そうだよ。ただ一瞬な、「やっぱり一個のほうが楽だよな。痛くねえし」って思ったことは認めるよ。だけど、そこで引いてたらあとで飲むビールがうまくねえって思ったんだよな。要は出たとこ勝負なんだよ。もともと真樹道場では試し割りなんか全然やらないし、審査会でもやらない。じゃあ、なんで割れたのかといえば、ああいうものはイメージトレーニングなんだよ。やれば割れるというイメージは常に持ってるよな。それでいいんだよね。真剣勝負と一緒で、普段から心がけててもしょうがねえ。注文があった時にパッとやるんだよ。日々の稽古っていうのはそのためにやってるんだろう。練習してなかったんで出来ませんじゃ通らねえんだよ。いつでも俺は出たとこ勝負。それができない奴はまぁ男の強さなんて話とは無縁だろうよな。

──出たとこ勝負ができるか否かで男の強さが問われると。

※第02回へ続く。[:en]

2011年10月 写真:川保天骨 インタビュー:中村カタブツ君 協力:(株)真樹プロダクション

強くなければ男じゃない! 格好良くなければ男じゃない! 優しくなければ男じゃない!
しかし、 男ってそもそも何なんだ? 読者諸君! 我々日本男子は今、世界において、その存在意義を問われている。明確にこれが男であるという答えはないかもしれない。しかし、男はいるんだよ! 漢が!
空手家、作家、そして、男としての真樹日佐夫に挑んでいくしか答えは出ない! 刮目して読め!

※このインタビューは、ペキンパー第弐号に収録されたものをPECKINPAH DIGITAL掲載用に編集したものです。

 

真樹
今日はスーツ着て写真も撮るんだろ? だったら撮影はここじゃないほうがいいな。インタビューはここでいいけど、写真は外だ。今日は残暑がきついだろ、部屋の中でスーツなんか着てられねえって。それにあれだ、スーツっていうのはアウトドアファッションだからな。靴を履かないと決まらねえんだよ。

 

 

──スーツはアウトドアファッション! 最初から凄く小気味の良い言葉が聞けて嬉しいです(笑)。

真樹
おだてたってなんにも出ねえぞ(笑)。ただな、この前、俺を表紙にした『実話マッドマックス』って雑誌がずいぶん売れたそうじゃねえか。俺はもう 70 だぞ。なんで売れるんだって。これは若いヤツらがちょっとだらしないんじゃないか。

──いえいえ、先生が凄すぎるんです。ファッションといい、生き方といい、本当に格好良いんですよ。

真樹
まあ、みんなそう言って俺を持ち上げてくれるけどな、この前だって気がつくと渋谷の歩道橋の上で不良たちを連れてグラビア写真撮らされてたんだよ。通行人もいるんだからさ、いくらなんでも恥ずかしいよ、俺も(笑)。

──いやいや、ホントに絵になるんですって。だから、今日はそんな男らしい先生に男はどう生きるべきかをお聞きしたいと思っているんですね。ただ、男とはなんですか、男の生き方とはなんですかって質問も凄く漠然としてるじゃないですか。

真樹
ああ、最近そんな質問ばっかだよ。男っていうのは女じゃねえってだけの話だ。

──そんなにこだわるようなことではないと。

真樹
そりゃそうだろ。放っておいたって玉がついてりゃ男だよ。ただそこに敢えて意味合いを見出す作業というのは大切かもしれないな。

──まあ、それで男の意味とはなにかを考える上で強さではなく、逆に弱さについて考えたほうが男の生き方って見えやすいのかと思ったんですけど。で、非常に言いづらいんですが、たとえば先生であっても、全盛期と比べたらやっぱり体力的には、いまどこかで弱さを感じてるんではないですか。

真樹
それは話が逆でさ、衰えたと思う時に年を食うんだよ。だから、年相応のトレーニングじゃダメなんだよ。いま若い時の倍走ってるよ。昔 10 キロだったのが、いま1日 20 キロ。要するに、運命に逆らう。年を取ったら老けて弱くなるのは当たり前。その当たり前のことに逆らえるかどうかだから、やっぱりこれは内面の問題だよな。それが精神修養につながっていくんだよ。神様に逆らうんだよ。

──神様に逆らう! 

真樹
そうだろ? そうしねえと普通の生き物になってしまうんだよ。

──いやあ、ビックリしました。僕はたぶん、先生なりに年を取ったことの弱さを受け入れる作業をしているのかなって思ってたんです。

真樹
そんなことはしてねえな。そうしたほうが楽に老けていけそうだってみんな勘違いするんだよ。だけど、それは逆でそんなことを考えると倍々で老けこんじまう。いまの若い奴らに「なんだ、この野郎」ってのしかかっていかなきゃダメだ。それができるか、できねえか。そう考えると俺はいま幸せだよ、若い弟子たちが追い上げてくるのを「冗談じゃねえ、まだ先にはいかさねえて」ってできるから。人間って生来が怠け者なんだから、そうやって追い上げてきてくれて初めてやる気が出たりするんだな。
まあ、俺の目標は日野原(重明=聖路加病院理事長、名誉院長)先生だよ。この前めでたく100歳になっただろ。その時あと 10 年は頑張れるって言ったらしいよ。毎日夜中の2時まで原稿書いて、週に一回血の滴るようなステーキを食うのが楽しみだっていうんだよね(笑)。こういう人間を神様は死なせねえよ。

──日野原先生って大山総裁(極真会館・大山倍達総裁。真樹先生の空手の師であり、義兄弟)がお亡くなりになられた時に主治医をされてましたよね。

真樹
そうそう。聖路加に大山先生が入ってて日野原先生が診てくれてた。だから、当時はよく会ってたよな。浅田次郎って作家がいるだろ。彼の持論だと、最近じゃ人の年は七掛けでいかないと計算があわなくなるそうだ。つまり100歳でやっと 70 歳の計算だ。だから、日野原先生は 70 ぐらいの元気さでちょうど計算も合う。俺にしても 70 の七掛けだと7×7= 49 でまあ 50 歳だよ。そうするとなんとなく実感とマッチするんだよ。 30 の女と愛を語れるかもわかんない(笑)。でも、もう娘も 30 だからな。昔は娘よりも若いのには手を出さねえとか言ってたけどさ、この間もな……まあ、それ以上はいいやなあ(笑)。

──活字になるという冷静さもおありになって(笑)。

真樹
もちろん(笑)。

──いまのお話を聞いてますますお元気だということはよくわかったんですが、空手家という強さを売りにする方は弱さを実感するのもひとしおだと思うんですよね。だから、どこかで弱さを受け入れてうまい身の処し方を身に付ける。ヤクザの人たちの言うところの鎧を身に付けるみたいな方法をしているのかと思ったんですけど違いましたね。

真樹
なんかさっきから聞いてると俺のことを弱くなって角が取れたみたいにしたいようだけど、残念だな(笑)。鎧なんていらねえよ、筋肉が鎧だよ。まあ、あと 20 年もしたらそんなものがいるかもしれねえけど、まだ着たくねえな。第一そんなものを着たら、中身が萎んできちまうだろう。
凄くわかりやすい話をしてやろうか。こないだ、『サンデージャポン』でテリー伊藤が「今度スタジオに来て瓦でも割ってもらいましょうか」って言ったんだよ。だから、俺は「瓦なんか女の子でも割れる。ブロック割りだ」って突っ張ってブロック割りになったんだね。少年部の空手の合宿を江ノ島でやったんで、そこにサンジャポのスタッフが来て撮ることになったんだよ。ブロックはスタッフが用意して「先生、試割り用のブロックが手に入らなかったんで、建築用のでいいですか」っていうから、「それでいいよ」ってことでブロックを一つ、二つと積み上げたんだよな。そしたらディレクターがすっとんで来てさ、「先生一つで十分です」って耳打ちするんだよ。「なんで? 俺はニ個割るっていっただろ」っていってもさ、「失敗したら周りで見てる子供のお弟子さんたちが悲しむ」とか「一個で十分視聴者は驚きますから」とか、どうのこうのいうんだよ。それでも「いいから」っていったらさ、今度は弟子が寄ってきてさ「先生、やっぱり一つでどうですか?」ってこうだ。「お前、俺のことが信じられねえのか。二個割るっていったら二個だよ!」って、みんなの反対を押し切って手刀をブロックに落としたら一発で割れてね、その瞬間に「三個でもいけたかもな」って思ったよ、俺は。

──二個じゃ物足りなかったんですか !?

真樹
三個だったらやっと割れたかもなってイメージだな。この間、東(東孝。極真空手・第9回全日本空手道大会優勝。現在、大道塾塾長)くんがひょっこり現れて、彼と一杯やりながら話をしてたら東くんもブロック二個はやったことないんだってな、公衆の面前では。失敗しねえんだろうけど、大山先生が二個はやるなと。もし失敗したらテレビやなんかで全国に知れちゃうからと禁止してたそうなんだね。だから、映像で出回ってるブロック二個割りは俺のだけだってことなんだよ。テレビの映像でいうと、 20 年ぐらい前に俺と猪木と藤原敏男が出た時に一回俺が失敗したんだ、軸足が滑って。それでド?ンと吹っ飛んだら猪木が笑ったっていうんで波紋をひろげたろ?

──見ました。猪木さんも人の失敗が好きな人ですからね(笑)。

真樹
「猪木の野郎さらってやりましょうか」ってなんて言い出すヤツまでいて「やめろ」って俺も慌てて(笑)。その時だって二回目に手刀を落としたら二個とも割れたからね。 50 の時にやれたんならいまやれねえわけがねえって。

──つまり 20 年ぶりだったんですか !?

真樹
そうだよ。弟子がそのあとにやってきて、「いやあ、力が落ちてない証拠ですね」って。つい今年の春だよ。あの時周りのいうとおりに一個にしてたらやっぱりてめえでてめえが嫌になっただろうな。

──これはいけるか、いけないかっていう葛藤があった中で…。

真樹
いや、葛藤なんてもんはなかったよ。「割るって決めたら割るんだ、だから、引っ込んでろ、このオタンコナス」っていう気持ちだったな。あれは『最強最後のカラテ』って映画のオープニングパーティーの時だったか、ブロックが雨で濡れてて割れねえで苦労してさ。それで右手が折れちゃって、しょうがねえ、左で割った苦い思い出があるけど。とにかく割るんだよ、決めたからにはな。右手が折れたら左手。左手も折れたら両足があるだろ。4回もチャンスがあれば大丈夫。ブロックのほうがいじけるよ(笑)。

──“とにかく割る”というのは手足が折れてもという意味だったんですね。

真樹
そうだよ。ただ一瞬な、「やっぱり一個のほうが楽だよな。痛くねえし」って思ったことは認めるよ。だけど、そこで引いてたらあとで飲むビールがうまくねえって思ったんだよな。要は出たとこ勝負なんだよ。もともと真樹道場では試し割りなんか全然やらないし、審査会でもやらない。じゃあ、なんで割れたのかといえば、ああいうものはイメージトレーニングなんだよ。やれば割れるというイメージは常に持ってるよな。それでいいんだよね。真剣勝負と一緒で、普段から心がけててもしょうがねえ。注文があった時にパッとやるんだよ。日々の稽古っていうのはそのためにやってるんだろう。練習してなかったんで出来ませんじゃ通らねえんだよ。いつでも俺は出たとこ勝負。それができない奴はまぁ男の強さなんて話とは無縁だろうよな。

──出たとこ勝負ができるか否かで男の強さが問われると。

※第02回へ続く。[:]

火炎放射器の作り方 君たちも火を手に入れろ!

[:ja]

キャンプに行って火も起こせないような男が増えておるらしいの! 情けない! お前らキンタマついてんのか! 火炎放射器で火を起こせば女にもてること請け合いだから、皆さん作ってみれば? あくまでも自己責任で。(By編集部)

用意するものは、
ライター用の補充ガス:コンビニで数百円で売られているものでOK
透明なチューブ:ホームセンターなどで売られているもの。内径3mm、外径5mmがおそらくベスト。1m百円ほどで買える。長さは用途に応じて好きに。
ワッシャー:これもホームセンターで100円程度で入手可能。内径4mm。外径は好き好き。

わずかこれだけ。1,000円もかかりません。
作り方も超簡単。まずワッシャーをチューブに通す。このとき、ワッシャーの内径がチューブの外径よりも小さいため、そのままだと入りにくい。なのでチューブをあらかじめ斜めに切っておくとワッシャーを通しやすい。あとはチューブをガスの缶に差し込むだけ。これでお終り。

火種に向けてガスを発射すれば立派な火炎放射器だ。コンビニのガス缶でも1m以上の高さの火が出せる。しかもこれ、装置自体が小柄なので、色々なものに仕込んでステージなどで使用可能。ギターのヘッドに仕込んだり、スカルに組み込んだり、アイデア次第で可能性は無限に広がるはず。まだ試したことはないが、コンロ用のガスボンベを使えばもっと大きな火が出せるかも。

今回も当然のことながら、製作はすべて自己責任でやってくださいね。事故や火事、怪我など、一切の責任は負いかねますので。俺はもっと凄い火炎放射器を作れるぞという方は是非ご一報を。

ちょっと不気味なドクロ火炎放射器!
この箱の中に火炎放射器セットが!

 

これら全て買っても1000円以下だよ。
怖い鬼の角から火が1メートルも!
ものすごい勢いで火が!カッコいいぞ!

 

ガスの元。100円ショップで売ってるよ。

これがワッシャー部分。単純な構造です。

 

※本記事はペキンパー第弐号に掲載されたものを再編集したものです。[:en]キャンプに行って火も起こせないような男が増えておるらしいの! 情けない! お前らキンタマついてんのか! 火炎放射器で火を起こせば女にもてること請け合いだから、皆さん作ってみれば? あくまでも自己責任で。(By編集部)

用意するものは、
ライター用の補充ガス:コンビニで数百円で売られているものでOK
透明なチューブ:ホームセンターなどで売られているもの。内径3mm、外径5mmがおそらくベスト。1m百円ほどで買える。長さは用途に応じて好きに。
ワッシャー:これもホームセンターで100円程度で入手可能。内径4mm。外径は好き好き。

わずかこれだけ。1,000円もかかりません。
作り方も超簡単。まずワッシャーをチューブに通す。このとき、ワッシャーの内径がチューブの外径よりも小さいため、そのままだと入りにくい。なのでチューブをあらかじめ斜めに切っておくとワッシャーを通しやすい。あとはチューブをガスの缶に差し込むだけ。これでお終り。

火種に向けてガスを発射すれば立派な火炎放射器だ。コンビニのガス缶でも1m以上の高さの火が出せる。しかもこれ、装置自体が小柄なので、色々なものに仕込んでステージなどで使用可能。ギターのヘッドに仕込んだり、スカルに組み込んだり、アイデア次第で可能性は無限に広がるはず。まだ試したことはないが、コンロ用のガスボンベを使えばもっと大きな火が出せるかも。

今回も当然のことながら、製作はすべて自己責任でやってくださいね。事故や火事、怪我など、一切の責任は負いかねますので。俺はもっと凄い火炎放射器を作れるぞという方は是非ご一報を。

ちょっと不気味なドクロ火炎放射器!
この箱の中に火炎放射器セットが!

 

これら全て買っても1000円以下だよ。
怖い鬼の角から火が1メートルも!
ものすごい勢いで火が!カッコいいぞ!

 

ガスの元。100円ショップで売ってるよ。

これがワッシャー部分。単純な構造です。

 

※本記事はペキンパー第弐号に掲載されたものを再編集したものです。[:]

重厚音楽考察「ホラー映画サウンドトラックの系譜に連なる中森明菜」

[:ja]

文・川嶋未来(SIGH)

「エクソシスト」。ホラー映画史上に燦然と輝く名作である。1973年制作、公開されるや否や全米だけでなく、ここ日本でも大旋風を巻き起こした。アメリカでは18歳未満は鑑賞禁止の措置がとられたというが、これはホラー=内容が残酷ということよりも、主人公の少女が十字架を自分の股に突き刺すなど、クリスチャンの目からしたら到底許容し難い描写が原因の一つにあったのだろう。我々日本人のように、単にこの映画を怖い、怖くないで判断することは、キリスト教を社会の規範とする欧米では不可能であったに違いない。

「エクソシスト」 (1973年)

さてそのエクソシスト、映画の内容もさることながら、付随する音楽もまた突出していた。ポーランドのクシシュトフ・ペンデレツキを筆頭に、アントン・ヴェーベルン、ジョージ・クラム、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェと、20世紀を代表するクラシックの作曲家がずらりと並ぶ。本作品は、難解だと敬遠されがちな現代音楽が、いかにホラー映画と相性が良いか、そしてこのような文脈で使用される場合、難解であることが一切問題にならないどころか、むしろプラスの要素たりえるということを証明した。この精神は、1980年公開の「シャイニング」にも継承されている。一方でエクソシストのメインテーマとしては、クラシックの作曲家ではなく、プログレッシヴロック畑のミュージシャン、マイク・オールドフィールド作曲の「チューブラー・ベルズ」が使用された。これはマイク・オールドフィールドや、「チューブラー・ベルズ」というタイトルを知らなくても、あのイントロ・フレーズを聞けば誰もが「ああ、この曲か。」と思うに違いない、心霊番組などの定番のBGMになっている。

「チューブラー・ベルズ」もミニマルミュージックという、やはり現代音楽における一つの手法を用いて書かれている。ミニマルミュージックとは、思いっきり簡単に言えば、物凄く単純な音型を、これでもかとしつこく繰り返す音楽のこと。この強迫的な手法は、実に恐怖という感情を高めるのに適している。マイク・オールドフィールドが、果たして怖い音楽を作ろうという意図を持っていたのかはわからない。だが21世紀になった今でも、「チューブラー・ベルズ」はテレビの恐怖シーンを盛り上げるのに一役買っているのだ。
「チューブラー・ベルズ」がホラー映画音楽に与えた衝撃は大きく、ミニマルミュージック的なサウンドトラックが使用されるケースは増えて行ったのだが、中でも特筆すべきはイタリアのプログレッシヴ・ロック・バンド、ゴブリンによる「サスペリア」のテーマだろう。同じくイタリアのダリオ・アルジェント監督による1977年公開の名作、「サスペリア」のメインテーマは、やはり「チューブラー・ベルズ」同様、ゴブリンを知らなくとも曲を聞けば誰もが知っているという名作。こちらもテレビのBGMの常連だ。

「サスペリア」 (1977年)

 

しかしこれ、良く聞いてみれば(良く聞いてみなくてもだけど)、「チューブラー・ベルズ」を下敷きにしていることは明らか。曲調からメロディラインまで、実に良く似ている。だがそれが、単なるパクリに堕することなく、実にゴブリンらしい消化、肉付けをされているのが見事だ。
アメリカの映画監督、ジョン・カーペンターは監督業だけでなく、自ら作曲までこなす多才な人物。代表作、1978年の「ハロウィン」のメインテーマもジョン・カーペンター自身による作曲。こちらは「サスペリア」のテーマほど露骨ではないが、やはりミニマルミュージック~「チューブラー・ベルズ」の流れを汲んでいると考えて差し支えないだろう。

「ハロウィン」(1978年)

 

ジョン・カーペンターの楽曲は、単純だが実に恐ろしい名曲が多い。1980年の「ザ・フォッグ」のテーマも実に見事。「サスペリア」や「ハロウィン」のテーマと比べると知名度は格段に落ちるかもしれないが、クオリティ的にはこれらに勝るとも劣らない。
さて、ではこれらの系譜に連なる日本のアーティストは誰だろうか。私なら迷わず中森明菜を挙げる。決してふざけているわけではない。1986年にリリースされた通算9枚目のスタジオアルバム「不思議」。聞いてもらえばわかるが、とてもアイドルのアルバムとは思えないような異様で恐ろしい内容の作品だ。

中森明菜「不思議」(1986)

中森明菜「不思議」(1986)

しかも決して偶発的に恐ろしい作品ができあがったのではない。中森自身が「エクソシストの音楽からインスパイアされた」作品であると明言しているのである!「エクソシストの音楽」が「チューブラー・ベルズ」を指していることは明白で、例えば名曲「マリオネット」ののバイオリンなど、随所に「チューブラー・ベルズ」を下敷きとしたミニマルなフレーズが散りばめられている。

中森自身が提案したアルバムのコンセプトはそのものずばり「不思議」。おそらく作曲家陣は「チューブラー・ベルズ」だけでなく、ゴブリンの楽曲あたりも分析、参考にしたのだろう、ホラーファンにはなじみのアレンジ、フレーズが満載だ。そして何よりも異様なのが中森自身のヴォーカル。アイドルのアルバムのはずなのに、中森の声には極端に深いリバーヴがかけられているせいで、定位がやたらと奥に引っ込み、殆ど聞き取ることができないほど。素面で聞くことを前提にしていないのでは、と疑いたくなる。80年代のアイドルのアルバムというと、ヒットシングル数曲+残り捨て曲みたいなイメージがあるが、「不思議」はその対極にある作品。大衆受けする要素ゼロ、かと言って難解かというとそれもまた適切な表現ではなく、最早狂っているとしか言いようがない。

そんな作品にもかかわらず当時、中森のネームバリューもあり、本作品はオリコンチャート3週連続1位を獲得している。購入したファンたちが、どのような感想を持ったのかはまったく別問題ではあるが。それはともかく本作品、そのままホラー映画のサウンドトラックとして使用できるような仕上がり。ホラーファンにこそ是非とも聞いて頂きたい名作だ。[:en]

文・川嶋未来(SIGH)

「エクソシスト」。ホラー映画史上に燦然と輝く名作である。1973年制作、公開されるや否や全米だけでなく、ここ日本でも大旋風を巻き起こした。アメリカでは18歳未満は鑑賞禁止の措置がとられたというが、これはホラー=内容が残酷ということよりも、主人公の少女が十字架を自分の股に突き刺すなど、クリスチャンの目からしたら到底許容し難い描写が原因の一つにあったのだろう。我々日本人のように、単にこの映画を怖い、怖くないで判断することは、キリスト教を社会の規範とする欧米では不可能であったに違いない。

「エクソシスト」 (1973年)

さてそのエクソシスト、映画の内容もさることながら、付随する音楽もまた突出していた。ポーランドのクシシュトフ・ペンデレツキを筆頭に、アントン・ヴェーベルン、ジョージ・クラム、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェと、20世紀を代表するクラシックの作曲家がずらりと並ぶ。本作品は、難解だと敬遠されがちな現代音楽が、いかにホラー映画と相性が良いか、そしてこのような文脈で使用される場合、難解であることが一切問題にならないどころか、むしろプラスの要素たりえるということを証明した。この精神は、1980年公開の「シャイニング」にも継承されている。一方でエクソシストのメインテーマとしては、クラシックの作曲家ではなく、プログレッシヴロック畑のミュージシャン、マイク・オールドフィールド作曲の「チューブラー・ベルズ」が使用された。これはマイク・オールドフィールドや、「チューブラー・ベルズ」というタイトルを知らなくても、あのイントロ・フレーズを聞けば誰もが「ああ、この曲か。」と思うに違いない、心霊番組などの定番のBGMになっている。

「チューブラー・ベルズ」もミニマルミュージックという、やはり現代音楽における一つの手法を用いて書かれている。ミニマルミュージックとは、思いっきり簡単に言えば、物凄く単純な音型を、これでもかとしつこく繰り返す音楽のこと。この強迫的な手法は、実に恐怖という感情を高めるのに適している。マイク・オールドフィールドが、果たして怖い音楽を作ろうという意図を持っていたのかはわからない。だが21世紀になった今でも、「チューブラー・ベルズ」はテレビの恐怖シーンを盛り上げるのに一役買っているのだ。
「チューブラー・ベルズ」がホラー映画音楽に与えた衝撃は大きく、ミニマルミュージック的なサウンドトラックが使用されるケースは増えて行ったのだが、中でも特筆すべきはイタリアのプログレッシヴ・ロック・バンド、ゴブリンによる「サスペリア」のテーマだろう。同じくイタリアのダリオ・アルジェント監督による1977年公開の名作、「サスペリア」のメインテーマは、やはり「チューブラー・ベルズ」同様、ゴブリンを知らなくとも曲を聞けば誰もが知っているという名作。こちらもテレビのBGMの常連だ。

「サスペリア」 (1977年)

 

しかしこれ、良く聞いてみれば(良く聞いてみなくてもだけど)、「チューブラー・ベルズ」を下敷きにしていることは明らか。曲調からメロディラインまで、実に良く似ている。だがそれが、単なるパクリに堕することなく、実にゴブリンらしい消化、肉付けをされているのが見事だ。
アメリカの映画監督、ジョン・カーペンターは監督業だけでなく、自ら作曲までこなす多才な人物。代表作、1978年の「ハロウィン」のメインテーマもジョン・カーペンター自身による作曲。こちらは「サスペリア」のテーマほど露骨ではないが、やはりミニマルミュージック~「チューブラー・ベルズ」の流れを汲んでいると考えて差し支えないだろう。

「ハロウィン」(1978年)

 

ジョン・カーペンターの楽曲は、単純だが実に恐ろしい名曲が多い。1980年の「ザ・フォッグ」のテーマも実に見事。「サスペリア」や「ハロウィン」のテーマと比べると知名度は格段に落ちるかもしれないが、クオリティ的にはこれらに勝るとも劣らない。
さて、ではこれらの系譜に連なる日本のアーティストは誰だろうか。私なら迷わず中森明菜を挙げる。決してふざけているわけではない。1986年にリリースされた通算9枚目のスタジオアルバム「不思議」。聞いてもらえばわかるが、とてもアイドルのアルバムとは思えないような異様で恐ろしい内容の作品だ。

中森明菜「不思議」(1986)

中森明菜「不思議」(1986)

しかも決して偶発的に恐ろしい作品ができあがったのではない。中森自身が「エクソシストの音楽からインスパイアされた」作品であると明言しているのである!「エクソシストの音楽」が「チューブラー・ベルズ」を指していることは明白で、例えば名曲「マリオネット」ののバイオリンなど、随所に「チューブラー・ベルズ」を下敷きとしたミニマルなフレーズが散りばめられている。

中森自身が提案したアルバムのコンセプトはそのものずばり「不思議」。おそらく作曲家陣は「チューブラー・ベルズ」だけでなく、ゴブリンの楽曲あたりも分析、参考にしたのだろう、ホラーファンにはなじみのアレンジ、フレーズが満載だ。そして何よりも異様なのが中森自身のヴォーカル。アイドルのアルバムのはずなのに、中森の声には極端に深いリバーヴがかけられているせいで、定位がやたらと奥に引っ込み、殆ど聞き取ることができないほど。素面で聞くことを前提にしていないのでは、と疑いたくなる。80年代のアイドルのアルバムというと、ヒットシングル数曲+残り捨て曲みたいなイメージがあるが、「不思議」はその対極にある作品。大衆受けする要素ゼロ、かと言って難解かというとそれもまた適切な表現ではなく、最早狂っているとしか言いようがない。

そんな作品にもかかわらず当時、中森のネームバリューもあり、本作品はオリコンチャート3週連続1位を獲得している。購入したファンたちが、どのような感想を持ったのかはまったく別問題ではあるが。それはともかく本作品、そのままホラー映画のサウンドトラックとして使用できるような仕上がり。ホラーファンにこそ是非とも聞いて頂きたい名作だ。[:]