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2011年10月 写真:川保天骨 インタビュー:中村カタブツ君 協力:(株)真樹プロダクション
強くなければ男じゃない! 格好良くなければ男じゃない! 優しくなければ男じゃない!
しかし、 男ってそもそも何なんだ? 読者諸君! 我々日本男子は今、世界において、その存在意義を問われている。明確にこれが男であるという答えはないかもしれない。しかし、男はいるんだよ! 漢が!
空手家、作家、そして、男としての真樹日佐夫に挑んでいくしか答えは出ない! 刮目して読め!
※このインタビューは、ペキンパー第弐号に収録されたものをPECKINPAH DIGITAL掲載用に編集したものです。
真樹
今日はスーツ着て写真も撮るんだろ? だったら撮影はここじゃないほうがいいな。インタビューはここでいいけど、写真は外だ。今日は残暑がきついだろ、部屋の中でスーツなんか着てられねえって。それにあれだ、スーツっていうのはアウトドアファッションだからな。靴を履かないと決まらねえんだよ。
──スーツはアウトドアファッション! 最初から凄く小気味の良い言葉が聞けて嬉しいです(笑)。
真樹
おだてたってなんにも出ねえぞ(笑)。ただな、この前、俺を表紙にした『実話マッドマックス』って雑誌がずいぶん売れたそうじゃねえか。俺はもう 70 だぞ。なんで売れるんだって。これは若いヤツらがちょっとだらしないんじゃないか。
──いえいえ、先生が凄すぎるんです。ファッションといい、生き方といい、本当に格好良いんですよ。
真樹
まあ、みんなそう言って俺を持ち上げてくれるけどな、この前だって気がつくと渋谷の歩道橋の上で不良たちを連れてグラビア写真撮らされてたんだよ。通行人もいるんだからさ、いくらなんでも恥ずかしいよ、俺も(笑)。
──いやいや、ホントに絵になるんですって。だから、今日はそんな男らしい先生に男はどう生きるべきかをお聞きしたいと思っているんですね。ただ、男とはなんですか、男の生き方とはなんですかって質問も凄く漠然としてるじゃないですか。
真樹
ああ、最近そんな質問ばっかだよ。男っていうのは女じゃねえってだけの話だ。
──そんなにこだわるようなことではないと。
真樹
そりゃそうだろ。放っておいたって玉がついてりゃ男だよ。ただそこに敢えて意味合いを見出す作業というのは大切かもしれないな。
──まあ、それで男の意味とはなにかを考える上で強さではなく、逆に弱さについて考えたほうが男の生き方って見えやすいのかと思ったんですけど。で、非常に言いづらいんですが、たとえば先生であっても、全盛期と比べたらやっぱり体力的には、いまどこかで弱さを感じてるんではないですか。
真樹
それは話が逆でさ、衰えたと思う時に年を食うんだよ。だから、年相応のトレーニングじゃダメなんだよ。いま若い時の倍走ってるよ。昔 10 キロだったのが、いま1日 20 キロ。要するに、運命に逆らう。年を取ったら老けて弱くなるのは当たり前。その当たり前のことに逆らえるかどうかだから、やっぱりこれは内面の問題だよな。それが精神修養につながっていくんだよ。神様に逆らうんだよ。
──神様に逆らう!
真樹
そうだろ? そうしねえと普通の生き物になってしまうんだよ。
──いやあ、ビックリしました。僕はたぶん、先生なりに年を取ったことの弱さを受け入れる作業をしているのかなって思ってたんです。
真樹
そんなことはしてねえな。そうしたほうが楽に老けていけそうだってみんな勘違いするんだよ。だけど、それは逆でそんなことを考えると倍々で老けこんじまう。いまの若い奴らに「なんだ、この野郎」ってのしかかっていかなきゃダメだ。それができるか、できねえか。そう考えると俺はいま幸せだよ、若い弟子たちが追い上げてくるのを「冗談じゃねえ、まだ先にはいかさねえて」ってできるから。人間って生来が怠け者なんだから、そうやって追い上げてきてくれて初めてやる気が出たりするんだな。
まあ、俺の目標は日野原(重明=聖路加病院理事長、名誉院長)先生だよ。この前めでたく100歳になっただろ。その時あと 10 年は頑張れるって言ったらしいよ。毎日夜中の2時まで原稿書いて、週に一回血の滴るようなステーキを食うのが楽しみだっていうんだよね(笑)。こういう人間を神様は死なせねえよ。
──日野原先生って大山総裁(極真会館・大山倍達総裁。真樹先生の空手の師であり、義兄弟)がお亡くなりになられた時に主治医をされてましたよね。
真樹
そうそう。聖路加に大山先生が入ってて日野原先生が診てくれてた。だから、当時はよく会ってたよな。浅田次郎って作家がいるだろ。彼の持論だと、最近じゃ人の年は七掛けでいかないと計算があわなくなるそうだ。つまり100歳でやっと 70 歳の計算だ。だから、日野原先生は 70 ぐらいの元気さでちょうど計算も合う。俺にしても 70 の七掛けだと7×7= 49 でまあ 50 歳だよ。そうするとなんとなく実感とマッチするんだよ。 30 の女と愛を語れるかもわかんない(笑)。でも、もう娘も 30 だからな。昔は娘よりも若いのには手を出さねえとか言ってたけどさ、この間もな……まあ、それ以上はいいやなあ(笑)。
──活字になるという冷静さもおありになって(笑)。
真樹
もちろん(笑)。
──いまのお話を聞いてますますお元気だということはよくわかったんですが、空手家という強さを売りにする方は弱さを実感するのもひとしおだと思うんですよね。だから、どこかで弱さを受け入れてうまい身の処し方を身に付ける。ヤクザの人たちの言うところの鎧を身に付けるみたいな方法をしているのかと思ったんですけど違いましたね。
真樹
なんかさっきから聞いてると俺のことを弱くなって角が取れたみたいにしたいようだけど、残念だな(笑)。鎧なんていらねえよ、筋肉が鎧だよ。まあ、あと 20 年もしたらそんなものがいるかもしれねえけど、まだ着たくねえな。第一そんなものを着たら、中身が萎んできちまうだろう。
凄くわかりやすい話をしてやろうか。こないだ、『サンデージャポン』でテリー伊藤が「今度スタジオに来て瓦でも割ってもらいましょうか」って言ったんだよ。だから、俺は「瓦なんか女の子でも割れる。ブロック割りだ」って突っ張ってブロック割りになったんだね。少年部の空手の合宿を江ノ島でやったんで、そこにサンジャポのスタッフが来て撮ることになったんだよ。ブロックはスタッフが用意して「先生、試割り用のブロックが手に入らなかったんで、建築用のでいいですか」っていうから、「それでいいよ」ってことでブロックを一つ、二つと積み上げたんだよな。そしたらディレクターがすっとんで来てさ、「先生一つで十分です」って耳打ちするんだよ。「なんで? 俺はニ個割るっていっただろ」っていってもさ、「失敗したら周りで見てる子供のお弟子さんたちが悲しむ」とか「一個で十分視聴者は驚きますから」とか、どうのこうのいうんだよ。それでも「いいから」っていったらさ、今度は弟子が寄ってきてさ「先生、やっぱり一つでどうですか?」ってこうだ。「お前、俺のことが信じられねえのか。二個割るっていったら二個だよ!」って、みんなの反対を押し切って手刀をブロックに落としたら一発で割れてね、その瞬間に「三個でもいけたかもな」って思ったよ、俺は。
──二個じゃ物足りなかったんですか !?
真樹
三個だったらやっと割れたかもなってイメージだな。この間、東(東孝。極真空手・第9回全日本空手道大会優勝。現在、大道塾塾長)くんがひょっこり現れて、彼と一杯やりながら話をしてたら東くんもブロック二個はやったことないんだってな、公衆の面前では。失敗しねえんだろうけど、大山先生が二個はやるなと。もし失敗したらテレビやなんかで全国に知れちゃうからと禁止してたそうなんだね。だから、映像で出回ってるブロック二個割りは俺のだけだってことなんだよ。テレビの映像でいうと、 20 年ぐらい前に俺と猪木と藤原敏男が出た時に一回俺が失敗したんだ、軸足が滑って。それでド?ンと吹っ飛んだら猪木が笑ったっていうんで波紋をひろげたろ?
──見ました。猪木さんも人の失敗が好きな人ですからね(笑)。
真樹
「猪木の野郎さらってやりましょうか」ってなんて言い出すヤツまでいて「やめろ」って俺も慌てて(笑)。その時だって二回目に手刀を落としたら二個とも割れたからね。 50 の時にやれたんならいまやれねえわけがねえって。
──つまり 20 年ぶりだったんですか !?
真樹
そうだよ。弟子がそのあとにやってきて、「いやあ、力が落ちてない証拠ですね」って。つい今年の春だよ。あの時周りのいうとおりに一個にしてたらやっぱりてめえでてめえが嫌になっただろうな。
──これはいけるか、いけないかっていう葛藤があった中で…。
真樹
いや、葛藤なんてもんはなかったよ。「割るって決めたら割るんだ、だから、引っ込んでろ、このオタンコナス」っていう気持ちだったな。あれは『最強最後のカラテ』って映画のオープニングパーティーの時だったか、ブロックが雨で濡れてて割れねえで苦労してさ。それで右手が折れちゃって、しょうがねえ、左で割った苦い思い出があるけど。とにかく割るんだよ、決めたからにはな。右手が折れたら左手。左手も折れたら両足があるだろ。4回もチャンスがあれば大丈夫。ブロックのほうがいじけるよ(笑)。
──“とにかく割る”というのは手足が折れてもという意味だったんですね。
真樹
そうだよ。ただ一瞬な、「やっぱり一個のほうが楽だよな。痛くねえし」って思ったことは認めるよ。だけど、そこで引いてたらあとで飲むビールがうまくねえって思ったんだよな。要は出たとこ勝負なんだよ。もともと真樹道場では試し割りなんか全然やらないし、審査会でもやらない。じゃあ、なんで割れたのかといえば、ああいうものはイメージトレーニングなんだよ。やれば割れるというイメージは常に持ってるよな。それでいいんだよね。真剣勝負と一緒で、普段から心がけててもしょうがねえ。注文があった時にパッとやるんだよ。日々の稽古っていうのはそのためにやってるんだろう。練習してなかったんで出来ませんじゃ通らねえんだよ。いつでも俺は出たとこ勝負。それができない奴はまぁ男の強さなんて話とは無縁だろうよな。
──出たとこ勝負ができるか否かで男の強さが問われると。
※第02回へ続く。[:en]
2011年10月 写真:川保天骨 インタビュー:中村カタブツ君 協力:(株)真樹プロダクション
強くなければ男じゃない! 格好良くなければ男じゃない! 優しくなければ男じゃない!
しかし、 男ってそもそも何なんだ? 読者諸君! 我々日本男子は今、世界において、その存在意義を問われている。明確にこれが男であるという答えはないかもしれない。しかし、男はいるんだよ! 漢が!
空手家、作家、そして、男としての真樹日佐夫に挑んでいくしか答えは出ない! 刮目して読め!
※このインタビューは、ペキンパー第弐号に収録されたものをPECKINPAH DIGITAL掲載用に編集したものです。
真樹
今日はスーツ着て写真も撮るんだろ? だったら撮影はここじゃないほうがいいな。インタビューはここでいいけど、写真は外だ。今日は残暑がきついだろ、部屋の中でスーツなんか着てられねえって。それにあれだ、スーツっていうのはアウトドアファッションだからな。靴を履かないと決まらねえんだよ。
──スーツはアウトドアファッション! 最初から凄く小気味の良い言葉が聞けて嬉しいです(笑)。
真樹
おだてたってなんにも出ねえぞ(笑)。ただな、この前、俺を表紙にした『実話マッドマックス』って雑誌がずいぶん売れたそうじゃねえか。俺はもう 70 だぞ。なんで売れるんだって。これは若いヤツらがちょっとだらしないんじゃないか。
──いえいえ、先生が凄すぎるんです。ファッションといい、生き方といい、本当に格好良いんですよ。
真樹
まあ、みんなそう言って俺を持ち上げてくれるけどな、この前だって気がつくと渋谷の歩道橋の上で不良たちを連れてグラビア写真撮らされてたんだよ。通行人もいるんだからさ、いくらなんでも恥ずかしいよ、俺も(笑)。
──いやいや、ホントに絵になるんですって。だから、今日はそんな男らしい先生に男はどう生きるべきかをお聞きしたいと思っているんですね。ただ、男とはなんですか、男の生き方とはなんですかって質問も凄く漠然としてるじゃないですか。
真樹
ああ、最近そんな質問ばっかだよ。男っていうのは女じゃねえってだけの話だ。
──そんなにこだわるようなことではないと。
真樹
そりゃそうだろ。放っておいたって玉がついてりゃ男だよ。ただそこに敢えて意味合いを見出す作業というのは大切かもしれないな。
──まあ、それで男の意味とはなにかを考える上で強さではなく、逆に弱さについて考えたほうが男の生き方って見えやすいのかと思ったんですけど。で、非常に言いづらいんですが、たとえば先生であっても、全盛期と比べたらやっぱり体力的には、いまどこかで弱さを感じてるんではないですか。
真樹
それは話が逆でさ、衰えたと思う時に年を食うんだよ。だから、年相応のトレーニングじゃダメなんだよ。いま若い時の倍走ってるよ。昔 10 キロだったのが、いま1日 20 キロ。要するに、運命に逆らう。年を取ったら老けて弱くなるのは当たり前。その当たり前のことに逆らえるかどうかだから、やっぱりこれは内面の問題だよな。それが精神修養につながっていくんだよ。神様に逆らうんだよ。
──神様に逆らう!
真樹
そうだろ? そうしねえと普通の生き物になってしまうんだよ。
──いやあ、ビックリしました。僕はたぶん、先生なりに年を取ったことの弱さを受け入れる作業をしているのかなって思ってたんです。
真樹
そんなことはしてねえな。そうしたほうが楽に老けていけそうだってみんな勘違いするんだよ。だけど、それは逆でそんなことを考えると倍々で老けこんじまう。いまの若い奴らに「なんだ、この野郎」ってのしかかっていかなきゃダメだ。それができるか、できねえか。そう考えると俺はいま幸せだよ、若い弟子たちが追い上げてくるのを「冗談じゃねえ、まだ先にはいかさねえて」ってできるから。人間って生来が怠け者なんだから、そうやって追い上げてきてくれて初めてやる気が出たりするんだな。
まあ、俺の目標は日野原(重明=聖路加病院理事長、名誉院長)先生だよ。この前めでたく100歳になっただろ。その時あと 10 年は頑張れるって言ったらしいよ。毎日夜中の2時まで原稿書いて、週に一回血の滴るようなステーキを食うのが楽しみだっていうんだよね(笑)。こういう人間を神様は死なせねえよ。
──日野原先生って大山総裁(極真会館・大山倍達総裁。真樹先生の空手の師であり、義兄弟)がお亡くなりになられた時に主治医をされてましたよね。
真樹
そうそう。聖路加に大山先生が入ってて日野原先生が診てくれてた。だから、当時はよく会ってたよな。浅田次郎って作家がいるだろ。彼の持論だと、最近じゃ人の年は七掛けでいかないと計算があわなくなるそうだ。つまり100歳でやっと 70 歳の計算だ。だから、日野原先生は 70 ぐらいの元気さでちょうど計算も合う。俺にしても 70 の七掛けだと7×7= 49 でまあ 50 歳だよ。そうするとなんとなく実感とマッチするんだよ。 30 の女と愛を語れるかもわかんない(笑)。でも、もう娘も 30 だからな。昔は娘よりも若いのには手を出さねえとか言ってたけどさ、この間もな……まあ、それ以上はいいやなあ(笑)。
──活字になるという冷静さもおありになって(笑)。
真樹
もちろん(笑)。
──いまのお話を聞いてますますお元気だということはよくわかったんですが、空手家という強さを売りにする方は弱さを実感するのもひとしおだと思うんですよね。だから、どこかで弱さを受け入れてうまい身の処し方を身に付ける。ヤクザの人たちの言うところの鎧を身に付けるみたいな方法をしているのかと思ったんですけど違いましたね。
真樹
なんかさっきから聞いてると俺のことを弱くなって角が取れたみたいにしたいようだけど、残念だな(笑)。鎧なんていらねえよ、筋肉が鎧だよ。まあ、あと 20 年もしたらそんなものがいるかもしれねえけど、まだ着たくねえな。第一そんなものを着たら、中身が萎んできちまうだろう。
凄くわかりやすい話をしてやろうか。こないだ、『サンデージャポン』でテリー伊藤が「今度スタジオに来て瓦でも割ってもらいましょうか」って言ったんだよ。だから、俺は「瓦なんか女の子でも割れる。ブロック割りだ」って突っ張ってブロック割りになったんだね。少年部の空手の合宿を江ノ島でやったんで、そこにサンジャポのスタッフが来て撮ることになったんだよ。ブロックはスタッフが用意して「先生、試割り用のブロックが手に入らなかったんで、建築用のでいいですか」っていうから、「それでいいよ」ってことでブロックを一つ、二つと積み上げたんだよな。そしたらディレクターがすっとんで来てさ、「先生一つで十分です」って耳打ちするんだよ。「なんで? 俺はニ個割るっていっただろ」っていってもさ、「失敗したら周りで見てる子供のお弟子さんたちが悲しむ」とか「一個で十分視聴者は驚きますから」とか、どうのこうのいうんだよ。それでも「いいから」っていったらさ、今度は弟子が寄ってきてさ「先生、やっぱり一つでどうですか?」ってこうだ。「お前、俺のことが信じられねえのか。二個割るっていったら二個だよ!」って、みんなの反対を押し切って手刀をブロックに落としたら一発で割れてね、その瞬間に「三個でもいけたかもな」って思ったよ、俺は。
──二個じゃ物足りなかったんですか !?
真樹
三個だったらやっと割れたかもなってイメージだな。この間、東(東孝。極真空手・第9回全日本空手道大会優勝。現在、大道塾塾長)くんがひょっこり現れて、彼と一杯やりながら話をしてたら東くんもブロック二個はやったことないんだってな、公衆の面前では。失敗しねえんだろうけど、大山先生が二個はやるなと。もし失敗したらテレビやなんかで全国に知れちゃうからと禁止してたそうなんだね。だから、映像で出回ってるブロック二個割りは俺のだけだってことなんだよ。テレビの映像でいうと、 20 年ぐらい前に俺と猪木と藤原敏男が出た時に一回俺が失敗したんだ、軸足が滑って。それでド?ンと吹っ飛んだら猪木が笑ったっていうんで波紋をひろげたろ?
──見ました。猪木さんも人の失敗が好きな人ですからね(笑)。
真樹
「猪木の野郎さらってやりましょうか」ってなんて言い出すヤツまでいて「やめろ」って俺も慌てて(笑)。その時だって二回目に手刀を落としたら二個とも割れたからね。 50 の時にやれたんならいまやれねえわけがねえって。
──つまり 20 年ぶりだったんですか !?
真樹
そうだよ。弟子がそのあとにやってきて、「いやあ、力が落ちてない証拠ですね」って。つい今年の春だよ。あの時周りのいうとおりに一個にしてたらやっぱりてめえでてめえが嫌になっただろうな。
──これはいけるか、いけないかっていう葛藤があった中で…。
真樹
いや、葛藤なんてもんはなかったよ。「割るって決めたら割るんだ、だから、引っ込んでろ、このオタンコナス」っていう気持ちだったな。あれは『最強最後のカラテ』って映画のオープニングパーティーの時だったか、ブロックが雨で濡れてて割れねえで苦労してさ。それで右手が折れちゃって、しょうがねえ、左で割った苦い思い出があるけど。とにかく割るんだよ、決めたからにはな。右手が折れたら左手。左手も折れたら両足があるだろ。4回もチャンスがあれば大丈夫。ブロックのほうがいじけるよ(笑)。
──“とにかく割る”というのは手足が折れてもという意味だったんですね。
真樹
そうだよ。ただ一瞬な、「やっぱり一個のほうが楽だよな。痛くねえし」って思ったことは認めるよ。だけど、そこで引いてたらあとで飲むビールがうまくねえって思ったんだよな。要は出たとこ勝負なんだよ。もともと真樹道場では試し割りなんか全然やらないし、審査会でもやらない。じゃあ、なんで割れたのかといえば、ああいうものはイメージトレーニングなんだよ。やれば割れるというイメージは常に持ってるよな。それでいいんだよね。真剣勝負と一緒で、普段から心がけててもしょうがねえ。注文があった時にパッとやるんだよ。日々の稽古っていうのはそのためにやってるんだろう。練習してなかったんで出来ませんじゃ通らねえんだよ。いつでも俺は出たとこ勝負。それができない奴はまぁ男の強さなんて話とは無縁だろうよな。
──出たとこ勝負ができるか否かで男の強さが問われると。
※第02回へ続く。[:]