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あの世へ一直線!最高に気持ちいい究極のデストリップマガジン!ペキンパーVol.6
Straight to Hell! Sickest Death Trip Magazine!
ヤワな男が多い中、真の男を目指す男たちをリスペクトするDVDマガジン。
第6号は死体写真家・釣崎清隆特集。90年代サブカル、311、原発、表現規制、ゴア・カルチャーの今を語る!
雑誌目次
◎巻頭特集 死体写真家・釣崎清隆、かく語りき――超ロング・インタビュー
◎13年ぶりに再始動したマリア観音、木幡東介ロング・インタビュー!
◎富士の樹海で死体探し!村田らむの樹海ルポ!
◎◎走り続ける異端ドキュメンタリー作家平野勝之インタビュー
◎野蛮にして華麗、ワイルドでクール――ドイツの激熱ブルース・デュオThe Picturebooksインタビュー
◎熊谷の気鋭スラッシャーOutbreak Riotインタビュー
◎コラム:エロ漫画の世界 猟奇編
◎ペキンパー的書籍&音源紹介
◎今や飛ぶ鳥を落とす勢いの殺害塩化ビニールの筆頭!流血ブリザードインタビュー
◎スターリンのジャケットワーク等で知られ、本読者にもファンが多い漫画家宮西計三インタビュー
◎宮西計三の新バンドHundred Devilsインタビュー
◎ギャグ&バイオレンス漫画『スーパーDr.毒太』
◎ポートランド拠点のドゥーム・バンドYoung Hunterインタビュー
◎“Street-Doom”を標榜する新鋭バンドR.I.P.インタビュー
◎ポートランド・ドゥーム/ストーナー・ディスクレビュー
◎今や世界のD-beatやcrustファンから絶大な支持を受け続けるReallity Crisisインタビュー
◎ゴキブリコンビナート/絶叫する60度 Photo: Hideyuki Miyoshi
◎白石晃士監督インタビュー!
DVDコンテンツ
マリア観音/Young Hunter/R.I.P./Outbreak Riot/Hundred Devils/Pro Et Contra/Majutsu no Niwa/流血ブリザード/PHOTO SHOOT BEHIND THE SCENE
AMAZON:http://amzn.asia/4msYxpf
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どこまでも危険に突っ走る暴走マガジン『ペキンパー』の編集部が送るポッドキャスト。様々な話題を話します!
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全ての70年代カルト映画ファンに捧げる究極のカルト映像作家! 『エルトポ』『ホーリーマウンテン』のルーツがここにある!
アレハンドロ・ホドロフスキーや寺山修司に大きな影響を与えた伝説の映像作家、フェルナンド・アラバールの3部作! 驚愕の映像芸術の世界が日本に上陸!
2016年3月4日に『フェルナンド・アラバール初期作品集3枚組 無修正完全版』が発売となります。
なお、本コラムは、ペキンパー第四号に掲載されたものを再編集したものです。
賛美歌と共に、赤と黒の旗を掲げた天使のような少女たちが村を駆けていく。その様子がスローモーションで映し出される。あまりの美しさに息を呑むアラバールの監督第三作『ゲルニカの木』(75年)のオープニングだ。アラバールは語る。
“少女たちが掲げているのはアナーキズムの旗だ”―― “Arrabal, Panik Cineast”
1936年7月、スペイン軍の将軍グループがスペイン第二共和国政府に対してクーデターを起こした。スペイン内戦の勃発である。『ゲルニカの木』は、架空の村ラミロ(『死よ~』の舞台と同名)を舞台に実際の記録映像を交え、複数の登場人物による群像劇として描くことでスペイン内戦の縮図となっている。
動物を模した古代の神々を思わせる異形の仮面を被ったラミロ村の人々のパレードが映される。彼らは工場労働者や農民が主の無政府主義者や社労党左派を、パレードを苦々しく見下ろす村の伯爵は革命によって打倒される地方政権を、クーデターを策謀する伯爵の三人の甥はファシスト派をそれぞれ象徴している。加えて、ゲルニカ空爆を生き延びた女性バンダール、伯爵の息子で反権威主義のゴヤ、人道主義の教師が登場する。
本作の実質的主人公といえるのは、バンダールとゴヤだ。
タイトルにあるゲルニカとはスペインのバスク自治州ビスカヤ県の都市の名前。1937年4月26日、フランコ側を援助したヒトラーのドイツ空軍による無差別爆撃によって市民数百人が命を奪われた。ピカソがこの事件を題材に「ゲルニカ」を描いたことはあまりにも有名。「ゲルニカの木」は代々植え替えられてきたオークの木で、空爆の被害を免れた。
ゲルニカ空爆を生き延びたバンダールは、同じ悲劇の迫りつつあるラミロ村の反ファシズム運動に身を投じ、民衆を扇動する。天から神の声を聞いたジャンヌ・ダルクのように。彼女が聞いたのは神の声ではなく、爆音と罪無き民衆の悲鳴だったが。
ゴヤは悪戯ともテロともとれる行為(少女たちの聖体拝領に赤十字に扮して現われ、「聖餅に毒が入っている!」と叫ぶ、等)を繰り返している、根無し草のような男だったが、バンダールに出会い、共に空爆を生き延びたことで彼女に続く。ゴヤはアラバール自身の投影だろう。ゴヤは伯爵である父親に「40にもなって何をやっておる!」と叱られる。本作を監督した当時のアラバールも40代・・・自嘲的なギャグなのかもしれない。ゴヤは父の飲んでいた酒に射精する。
「飲んでもらおう 昨日 あなたに飲まされたものだ」――
名前はアラバールが敬愛するスペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤに由来すると思われる。
スペイン内戦において、ローマ教皇庁はファシスト政権を容認した。このことはスペイン国民の間に宗教的、民族的対立を招くこととなる。本作におけるキリスト教に対する批判はアラバール史上最も苛烈だ。
キリスト像は小便を浴びせられ、銃弾の的にされる。聖母マリア像は犯され、精液で汚される。キリスト万歳! と叫ぶファシスト達(これは『クレイジー~』にも登場している)。冒涜の罪を犯した青年のペニスを焼く神父。神父がファシストを祝福し、濃厚な口づけを交わす。
だが一方、アラバールのキリスト教に対する心情は、単なる憎悪、憤怒だけではないことを表すシーンも多い。そして、そこには過去の作品と同じく母親の影がある。
ラミロ村へロバに乗って入村するバンダールは、同じくロバに乗り、エルサレムへ勝利の入城を果たしたイエス・キリストそのものだ。バンダールを演じたマリアンジェラ・メラートは『流されて』等で映画ファンにはお馴染みの女優。通った鼻筋、意志の強さを感じさせる口元は、『死よ~』のファンドの母親とよく似ている。終盤、ファシストに拷問され、瀕死となったゴヤ(アラバールは67年7月、スペインを訪れた際、著作が政府を冒涜しているとして逮捕、拘留されている)をバンダールが悲嘆の表情で抱きかかえるシーンは明らかに、磔から降ろされたキリストを抱く聖母マリア、ピエタのイメージだ。
アラバールは後年、カトリックに入信している。彼の作品では、“キリスト教”への批判は目立つものの、キリストその人への明確な批判、不敬な描写は見られない。『クレイジー~』では人の姿のキリストを幻視したマベルが何かに目覚めるようなシーンがある(これが彼にどんな影響を及ぼしたかはっきりとは描かれない)。本作では教師の部屋でガンジーの写真が飾られている。これは教師が人道主義者であることの表れだが、「キリスト教徒はキリストのようではない」という有名な発言を思い出させる。
反戦/反ファシズムの天使、勇気と慈愛の女神――バンダールはアラバールにとって理想の女性、母親像であり、キリストへの抑えきれぬ憧憬なのだ。
物語は史実と同じくファシズムの勝利を迎える。ある者は銃弾に倒れ、ある者は捕えられ、処刑される(この様子は、牛に仕立てられた小人を闘牛士が串刺しにするシュールな映像で描かれる)。
ファシストの手を逃れ、ラミロ村を脱出するバンダールとゴヤ。夕日を背に二人は初めて名乗り合い、口づけを交わす。
「再び自由が訪れるまで あきらめはしない ゲルニカの木のように 希望は永遠に生き続ける」――
日が沈んでいく。そこには悲観も、感傷もない。日はまた昇るだろう。太陽を、不屈の意志を、奪い去ることなど誰にもできないのだ。
アラバールの作品は、どれも二つの力が描く二重の螺旋のようだ。それらは時に交差しながら、果てし無く突き進んでいく。
ファンドは希望を追い続けるだろう。死の手も、彼を追い続けるように。アデンの魂は、更なる高みへ向かうだろう。その間も文明社会は、多くの人をその檻の中に捕らえたままだ。バンダールの意志の炎は絶えること無く、受け継がれていくだろう。ファシズムの渦も、この世界から消え去ることは無いだろう。
アラバールの作品に触れた時、私たちにできるのは、立ち止まることや振り返ることではない。進み続けることだ。巨人が私に微笑む。
「映画とは何かだって? 私が映画だ」―”Arrabal, Panik Cineast”
……探求は続く―[:]
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全ての70年代カルト映画ファンに捧げる究極のカルト映像作家! 『エルトポ』『ホーリーマウンテン』のルーツがここにある!
アレハンドロ・ホドロフスキーや寺山修司に大きな影響を与えた伝説の映像作家、フェルナンド・アラバールの3部作! 驚愕の映像芸術の世界が日本に上陸!
2016年3月4日に『フェルナンド・アラバール初期作品集3枚組 無修正完全版』が発売となります。
なお、本コラムは、ペキンパー第四号に掲載されたものを再編集したものです。
ヨハン・ハインリヒ・フュースリーの「夢魔」がクレジットと共に現れる。スモッグに覆われた大都市。場面が切り替わると“耳の聞こえない”人々のための手話ニュースが始まる。公害、戦争、宇宙開発、貧困、疫病、「サルを使った実験で夢が記憶力を高めるとわかりました」――
母親殺しの嫌疑で追われる男、アデン(ジョージ・シャノン)は、逃避行の末に行き着いた砂漠で、不思議な小人マベル(ハチェミ・マルズーク。彼は『死よ~』に製作で参加、『ゲルニカの木』にも出演している)と出会う。彼は動物と会話し、空中を浮遊し、昼を夜に変える力を持っていた。二人は生活を共にし、友情を育む。アデンの住んでいた場所に興味を示したマベル。二人は都会へと向かう。
「マベルよ、僕は神聖なるラクダだ 君をバビロンへ連れて行こう」―
本作では『死よ~』以上に倒錯したアデンの母親への心情と、マベルの目を通して見た文明社会の醜さが描かれる。
冒頭の「夢魔」と最後のニュースは、多くのシュルレアリスト同様、夢がアラバールのヴィジョンに与えた影響を窺わせる。また「夢魔」は本作でのアデンと母親のシーンの元ネタとなっている。
『死よ~』でも母親(と叔母)への近親相姦的な心情は見られたが、本作ではさらに露骨だ。これは主人公が肉体的に成熟したということだ。本作での母と子は『死よ~』の正当な続編と言える。
アデンのペニスの先端に蝋燭の灯をともす母親(演じているのはアカデミー賞候補にもなったフランスの名優・エマニュエル・リヴァ)。幼いアデンに首筋を噛まれると母親は小便を漏らす。
生まれたばかりの息子のペニスに針を刺して去勢する母親。それが苦痛の源であるかのように。
「息子よ 苦痛が待っています あなたは幼いイエス」――
思春期以降の男子にとって、性欲がいかに大きな問題かは男性読者諸氏には説明するまでもないだろう(私など「ちんこいらねぇよ・・・」と真剣に思った)。カトリックでは、肉欲は七つの大罪の一つであり、生殖目的以外のセックス、自慰行為は禁じられている。統合失調症を患ったカトリック教徒は自慰中毒に陥るケースが多いという。
『死よ~』との決定的な差は、本作では父親の描写が皆無という点だが、『死よ~』で刑務所の父からファンドに贈られていた飛行機の模型が、アデンの実家の屋根裏に置かれている。
アデンは本当に母親を殺したのか? その真実は終盤で明かされる。
「私がパニック運動に求めたものは、いかなる形であれ、混乱だ」――”Arrabal, Panik Cineast”
文明社会が人類に齎す“幸福”を語るアデン。だがそこで映し出されるのは、ガスマスクをつけて交わる男女、同じくマスクを着け、ガラクタを満載したショッピングカートを押して駆け回る人々だ。幸福とは程遠い。
都会にやってきたマベルの目には、葉巻をふかす老人は乳首を吸う赤ん坊に、切り倒される木は、舌と歯を抜かれる女性に映る。文明の進歩を称える神父とそれに賛同する聴衆に、マベルは戦慄する。
ここでパニック運動について説明する。パニック運動はフランスの演劇家アントナン・アルトーによる“残酷劇 (Théâtre de la Cruauté)”と牧神パン(Pan)に触発されたことで結成された。 それは動脈硬化に陥った当時のシュルレアリストたちから真のシュルレアリズム(超現実主義)を取り戻す運動であり、受動的な観客への挑戦だった。もっとも有名な演目は65年5月、パリ祭りで行われた四時間に及ぶものだ。それは、1リットルもの牛乳を浴びせられ、去勢される神父、男(ホドロフスキー)が着る生肉の服を「怒り」に扮した女たちが鋏で切り、その肉を揚げて観客に食べさせる…etc、という内容だった。パニック運動についてはホドロフスキーの著書に詳しい。また、インターネット上に動画もあるので是非観て頂きたい。
“通常の演劇では、役者は「役柄」と完全に融合しなければならない。(中略)束の間の演劇(筆者注・パニック運動の前身)では反対に、行為者は役柄を追放し、自分の人格、あるいは自分が望む人格に、たどりつくよう努めるべきだった”――『リアリティのダンス』
雨が降れば傘を差し、与えられた食物を口にする。何の疑問も持たずに。型に嵌められ、与えられた役割をこなすだけの文明社会での生活は「通常の演劇」と同じだ。それはアナーキストであるアラバールにとって軽蔑すべきものだった。本作におけるアデンとマベルの都会での珍道中はその映画的表現なのだ。
アデンは追手の凶弾に倒れる。重なり合う母とアデン、アデンとマベル。死期を悟ったアデンはマベルに言う。
「僕を裁いてくれ」――
それは、母親への罪か? それとも、人類の、文明社会の原罪を背負ったイエスとしてなのか?観客に母と子の真実が明かされ、判決が下る。
マベルがアデンを一輪台車に乗せて海岸へやってくるシーンは、前作のラストと重なる(マベルがいつも連れている山羊の名前はテレザ!)。前作では希望へ、生へと向かった主人公は、ここで遂に死の彼岸へ辿り着く。だが待ち受けるのは絶望ではない。母親の呪縛から解き放たれ、愛するものと、自然の神秘(Marvel)と一体になったアデンの魂は、更なる高みに到達するのだ。
「僕を食べてくれ 君と一つになりたい 母の下着を身に着けて 僕のすべてを食べ尽くせ」――
72年のイタリア映画『怪奇! 魔境の裸族』では「未開の部族の野蛮な因習」としての食人が描かれ、この後「食人」は一大ブームとなる。ウルグアイで起きたチャーター機墜落事故を題材とした75年の『アンデスの聖餐』では極限状態での「生存」のための食人が描かれている。『クレイジー・ホース』の食人はどちらにも当て嵌まらない、「愛」の行為だ(食べるのは未開人のマベルだが。一部の部族では死者の魂を受け継ぐ儀式として食人を行う。本作はこれに近い)。また、未開人の視点で文明社会の奇異さを描いている点は「食人族映画」の裏返しであり、その源流「モンド映画」にも通じる。
「僕は君のすべてを食べる 骨まで食べ尽くして 君の魂に近づく 何世紀も君の体を受け継ぎ 苦しみながら君を産む」――
唐突にフォンテーヌブロー派の絵画「ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像」のパロディが現れる。ビヤール公爵夫人(マベル)に乳首をつままれるガブリエル・デストレ(アラバール)。乳首をつままれる動作は懐妊の暗喩だという。
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