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全ての70年代カルト映画ファンに捧げる究極のカルト映像作家! 『エルトポ』『ホーリーマウンテン』のルーツがここにある!
アレハンドロ・ホドロフスキーや寺山修司に大きな影響を与えた伝説の映像作家、フェルナンド・アラバールの3部作! 驚愕の映像芸術の世界が日本に上陸!
2016年3月4日に『フェルナンド・アラバール初期作品集3枚組 無修正完全版』が発売となります。
なお、本コラムは、ペキンパー第四号に掲載されたものを再編集したものです。
第01回『死よ、万歳』(’71)
第02回『クレイジーホース』(’73)
第03回「『ゲルニカの木』(’75)
第01回「バアルの子あるいは「虐殺の讃歌」――『死よ、万歳』(’71)」
導師(グル)の帰還
2013年5月18日、カンヌ国際映画祭にてアレハンドロ・ホドロフスキーの新作『リアリティのダンス』(原題:La Danza de la Realdad、14年公開予定)が上映された。
『The Rainbow Thief』(90年)から実に20年以上。この間、『エル・トポ』(69年)の続編が報じられたこともあった。しかし、これには期待よりも安易な続編への不安があった(エル・トポの双子の息子の片割れがマリリン・マンソンだって?)。
日本で近年、リバイバル上映、DVDの再発、blu-ray化、新作の原作である自伝『リアリティのダンス』(文遊社)、フランスのコミック作家メビウスことジャン・アンリ・ガストン・ジロー(R.I.P)との合作であるバンドデシネ(『アンカル』、『メタ・バロンの一族』、『天使の爪』/小学館集英社プロダクション)の邦訳リリース等、新たな盛り上がりを見せている。
フィルムの世界では長らく姿を見せていなかった、この黄金の眼を持つ幻視者の帰還を、サイケデリックな神話の新たな一編を、私たちは全身全霊を以って迎えようではないか!
サイケデリック・ジャーニー
ホドロフスキーの話題が長くなってしまった。では、ホドロフスキーだけが、この神話の唯一人の語り部、紡ぎ手なのか? もちろん、断じてそんなことは無い。近年だと、『ヴァルハラ・ライジング』(09年)などは、この神話大系に連なる一本と言えるだろう。バイキングがエルサレムを目指す、とってもホーリーマウンテンな傑作だ。
おぞましくも美しい『アンチクライスト』(09年)はどうだ? 遡れば、肉体と鉄塊の性交実験記録『クラッシュ』(96年)があり、究極のトリップ・ムービー『地獄の黙示録』(79年)がある。ルイス・ブニュエルが、ケネス・アンガーが、寺山修司がいる。お! コフィン・ジョーなんて変り種も。
……他には? もっとだ。もっと欲しい。もっと要る。私たちは貪欲だ。中毒患者なのかもしれない。親たちにお話をせがむ子供に過ぎないのかもしれない。
―阿片窟から、ベッドから這い出そう。探求するのだ。この系統樹の枝は広く、根は深い。闇の奥へ。
バアルの子
深淵を彷徨いながら、ふと顔を上げると、少年の眼を持つ巨人が私を見下ろしていた。フェルナンド・アラバールだった。
「アラバールは触れるものすべてをアラバールに、黄金に変える。彼は世界をアラバール化(arrabalize)するんだ」――A・ホドロフスキー ”Arrabal, Panik Cineast” (07)
フェルナンド・アラバール(本名Fernando Arrabal Teran)は1932年、旧スペイン領モロッコのメニラで画家の父フェルナンド・アラバル・ルイスとカトリック教徒の母カルメン・テラン・ゴンサレスの間に生まれた。3歳の時にスペイン内戦が勃発。そのさなか、母親の密告により、父親が共和主義者として反逆罪で政府に逮捕されてしまう。この体験を元に書かれたのが小説『バビロンの邪神』(59年)であり、これを基に処女監督作『死よ、万歳!』(71年)が生まれる。
『バビロンの邪神』の原題は”Baal Babylone”。バアル(Baal)とはウガリット神話の主神、豊饒の神。バアル・ゼブル(崇高なるバアル)と呼ばれ、民から崇められていたが、キリスト教徒たちによって、バアル・ゼブブ(蝿のバアル)と嘲笑され、邪神とされた。この古の神に、アラバールは父親の姿を重ねたに違いない。
映画は無垢な子供が歌う童謡と、ブリューゲルやボッシュを思わせる、『ファンタスティック・プラネット』(73年)の共同脚本、原画で知られるフランスの作家/画家ローラン・トポールの絵画で幕を開ける。
共産主義の打倒と死を讃えるファシストたちを目にする主人公の少年ファンド。
『死よ、万歳(Viva la Muerte)!』というタイトルは、スペイン外人部隊創設者ホセ・ミラン・アストレイの“知性を打ち倒せ、死よ、万歳!”という発言から閃きを得たものとアラバールは語っている。
ファンドは父の死を幻視する。「父さん! お願い 死なないで!」――
パンドラの匣が開かれた。死の存在に気づいたとき、自分の運命が、屠られる家畜や悪戯に殺される昆虫と変わらず苦痛と惨めさに満ちたものになると知ったときから、ファンドの世界は一変する。そして、母親への疑念に、ファンドは苛まれる。
首から下を地中に埋められ、馬で蹴り殺される父親、穴の底にいる父親に脱糞する母親、子供たちに去勢され睾丸を食わせられる神父、ファンドに泥を塗りたくられ、恍惚とする母親、冒頭のトポールの絵画を思わせる異形のシーンの数々が赤、青、黄、緑などの極彩色に彩られ、バッドトリップのように現れる。同時に、ファンドの実生活―大人たちへの反発、学友たちからの嘲笑、性の目覚めが描かれる。
『死よ~』の本質は、「少年が大人への第一歩を踏み出す」映画だ。筆者が本作を観て思い出したのは、ヴィタリ・カネフスキー監督『動くな、死ね、甦れ!』(89年)だった。どちらも独裁政権下(フランコ政権とスターリン政権)が舞台で、ファンドと幼馴染の少女テレザ(いつも七面鳥を連れているのが印象的)は、『動くな~』の主人公ワレルカと彼の守護天使のようなガリーヤとの関係に似ている(カネフスキーが『死よ~』を観ていたかどうかは知らないが)。
死に至る病
ファンドの行動は日増しに無軌道になっていく。教室で煙草を吸い、ファシストの建物に火を放つ。
彼の精神を蝕んできた死と疑念は、現実の病として彼の肉体に顕在する(アラバールは幼少期に結核を患っている)。そして、母親の口から真実を告げられたとき、彼の幻視はクライマックスに達する。
このシーンについてここで多くは書かないが、オプチカル処理ではない“本物の極彩色”と母親を演じたヌリア・エスペルの凄絶な演技によって観るものにトラウマ級の衝撃を与える(ちなみにこのシーンの撮影中、カメラマンの一人が気絶した)。
手術によりファンドは病から快復する。病室で目覚めると、そこにはテレザがいた。
「お父さんが逃げたそうよ。探しに行きましょう!」
テレザに導かれ、病院を抜け出すファンド。死の手から逃れ、希望を追って。
アラバールの父は死刑を宣告されたが、懲役30年に減刑された。刑務所を転々とした後、自殺未遂を図ったために入院させられた精神病院から脱走した。その後の消息は不明である。
「父さんがどこかで生きている」――それはアラバールにとって、パンドラの匣の底に残された希望だったのかもしれない。
アラバールはマドリッドの大学へ進学。20歳の時に、今なお世界各国で上演され続ける処女戯曲『戦場のピクニック』を書き上げる(日本では今年、15団体が連続してこの作品を上演する「戦場のピクニック」フェスティバルが開催された)。
54年、演劇を学ぶため、3ヶ月の奨学金を得てパリに移住。60年、ホドロフスキー、トポールらと邂逅。同年、シュルレアリスト・アンドレ・ブルトンのグループと出会い、ホドロフスキーらと共にグループの会合に出席している(後に決別)。
62年、パフォーマンス・アート・グループ「パニック運動(Panic Movement)」を結成する。『鮮血の女修道院/愛と情念の呪われた祭壇』等のカルト・ホラー監督であり、『ファンドとリス』(ホドロフスキーの処女監督作。原作はアラバール)、『エル・トポ』のプロデューサーを務めるフアン・ロペス・モクテズマもこれに合流。
シュルレアリズムとパニック運動。この二つが結実したのが監督第二作『クレイジー・ホース』(73年)である。
第02回「シュルレアリズムと「パニック運動」――『クレイジーホース』(’73)」に続く。
[:en]全ての70年代カルト映画ファンに捧げる究極のカルト映像作家! 『エルトポ』『ホーリーマウンテン』のルーツがここにある!
アレハンドロ・ホドロフスキーや寺山修司に大きな影響を与えた伝説の映像作家、フェルナンド・アラバールの3部作! 驚愕の映像芸術の世界が日本に上陸!
2016年3月4日に『フェルナンド・アラバール初期作品集3枚組 無修正完全版』が発売となります。
なお、本コラムは、ペキンパー第四号に掲載されたものを再編集したものです。
第01回「バアルの子あるいは「虐殺の讃歌」――『死よ、万歳』(’71)」
第02回「シュルレアリズムと「パニック運動」――『クレイジーホース』(’73)」
第03回「『ゲルニカの木』(’75)」
第01回「バアルの子あるいは「虐殺の讃歌」――『死よ、万歳』(’71)」
導師(グル)の帰還
2013年5月18日、カンヌ国際映画祭にてアレハンドロ・ホドロフスキーの新作『リアリティのダンス』(原題:La Danza de la Realdad、14年公開予定)が上映された。
『The Rainbow Thief』(90年)から実に20年以上。この間、『エル・トポ』(69年)の続編が報じられたこともあった。しかし、これには期待よりも安易な続編への不安があった(エル・トポの双子の息子の片割れがマリリン・マンソンだって?)。
日本で近年、リバイバル上映、DVDの再発、blu-ray化、新作の原作である自伝『リアリティのダンス』(文遊社)、フランスのコミック作家メビウスことジャン・アンリ・ガストン・ジロー(R.I.P)との合作であるバンドデシネ(『アンカル』、『メタ・バロンの一族』、『天使の爪』/小学館集英社プロダクション)の邦訳リリース等、新たな盛り上がりを見せている。
フィルムの世界では長らく姿を見せていなかった、この黄金の眼を持つ幻視者の帰還を、サイケデリックな神話の新たな一編を、私たちは全身全霊を以って迎えようではないか!
サイケデリック・ジャーニー
ホドロフスキーの話題が長くなってしまった。では、ホドロフスキーだけが、この神話の唯一人の語り部、紡ぎ手なのか? もちろん、断じてそんなことは無い。近年だと、『ヴァルハラ・ライジング』(09年)などは、この神話大系に連なる一本と言えるだろう。バイキングがエルサレムを目指す、とってもホーリーマウンテンな傑作だ。
おぞましくも美しい『アンチクライスト』(09年)はどうだ? 遡れば、肉体と鉄塊の性交実験記録『クラッシュ』(96年)があり、究極のトリップ・ムービー『地獄の黙示録』(79年)がある。ルイス・ブニュエルが、ケネス・アンガーが、寺山修司がいる。お! コフィン・ジョーなんて変り種も。
……他には? もっとだ。もっと欲しい。もっと要る。私たちは貪欲だ。中毒患者なのかもしれない。親たちにお話をせがむ子供に過ぎないのかもしれない。
―阿片窟から、ベッドから這い出そう。探求するのだ。この系統樹の枝は広く、根は深い。闇の奥へ。
バアルの子
深淵を彷徨いながら、ふと顔を上げると、少年の眼を持つ巨人が私を見下ろしていた。フェルナンド・アラバールだった。
「アラバールは触れるものすべてをアラバールに、黄金に変える。彼は世界をアラバール化(arrabalize)するんだ」――A・ホドロフスキー ”Arrabal, Panik Cineast” (07)
フェルナンド・アラバール(本名Fernando Arrabal Teran)は1932年、旧スペイン領モロッコのメニラで画家の父フェルナンド・アラバル・ルイスとカトリック教徒の母カルメン・テラン・ゴンサレスの間に生まれた。3歳の時にスペイン内戦が勃発。そのさなか、母親の密告により、父親が共和主義者として反逆罪で政府に逮捕されてしまう。この体験を元に書かれたのが小説『バビロンの邪神』(59年)であり、これを基に処女監督作『死よ、万歳!』(71年)が生まれる。
『バビロンの邪神』の原題は”Baal Babylone”。バアル(Baal)とはウガリット神話の主神、豊饒の神。バアル・ゼブル(崇高なるバアル)と呼ばれ、民から崇められていたが、キリスト教徒たちによって、バアル・ゼブブ(蝿のバアル)と嘲笑され、邪神とされた。この古の神に、アラバールは父親の姿を重ねたに違いない。
映画は無垢な子供が歌う童謡と、ブリューゲルやボッシュを思わせる、『ファンタスティック・プラネット』(73年)の共同脚本、原画で知られるフランスの作家/画家ローラン・トポールの絵画で幕を開ける。
共産主義の打倒と死を讃えるファシストたちを目にする主人公の少年ファンド。
『死よ、万歳(Viva la Muerte)!』というタイトルは、スペイン外人部隊創設者ホセ・ミラン・アストレイの“知性を打ち倒せ、死よ、万歳!”という発言から閃きを得たものとアラバールは語っている。
ファンドは父の死を幻視する。「父さん! お願い 死なないで!」――
パンドラの匣が開かれた。死の存在に気づいたとき、自分の運命が、屠られる家畜や悪戯に殺される昆虫と変わらず苦痛と惨めさに満ちたものになると知ったときから、ファンドの世界は一変する。そして、母親への疑念に、ファンドは苛まれる。
首から下を地中に埋められ、馬で蹴り殺される父親、穴の底にいる父親に脱糞する母親、子供たちに去勢され睾丸を食わせられる神父、ファンドに泥を塗りたくられ、恍惚とする母親、冒頭のトポールの絵画を思わせる異形のシーンの数々が赤、青、黄、緑などの極彩色に彩られ、バッドトリップのように現れる。同時に、ファンドの実生活―大人たちへの反発、学友たちからの嘲笑、性の目覚めが描かれる。
『死よ~』の本質は、「少年が大人への第一歩を踏み出す」映画だ。筆者が本作を観て思い出したのは、ヴィタリ・カネフスキー監督『動くな、死ね、甦れ!』(89年)だった。どちらも独裁政権下(フランコ政権とスターリン政権)が舞台で、ファンドと幼馴染の少女テレザ(いつも七面鳥を連れているのが印象的)は、『動くな~』の主人公ワレルカと彼の守護天使のようなガリーヤとの関係に似ている(カネフスキーが『死よ~』を観ていたかどうかは知らないが)。
死に至る病
ファンドの行動は日増しに無軌道になっていく。教室で煙草を吸い、ファシストの建物に火を放つ。
彼の精神を蝕んできた死と疑念は、現実の病として彼の肉体に顕在する(アラバールは幼少期に結核を患っている)。そして、母親の口から真実を告げられたとき、彼の幻視はクライマックスに達する。
このシーンについてここで多くは書かないが、オプチカル処理ではない“本物の極彩色”と母親を演じたヌリア・エスペルの凄絶な演技によって観るものにトラウマ級の衝撃を与える(ちなみにこのシーンの撮影中、カメラマンの一人が気絶した)。
手術によりファンドは病から快復する。病室で目覚めると、そこにはテレザがいた。
「お父さんが逃げたそうよ。探しに行きましょう!」
テレザに導かれ、病院を抜け出すファンド。死の手から逃れ、希望を追って。
アラバールの父は死刑を宣告されたが、懲役30年に減刑された。刑務所を転々とした後、自殺未遂を図ったために入院させられた精神病院から脱走した。その後の消息は不明である。
「父さんがどこかで生きている」――それはアラバールにとって、パンドラの匣の底に残された希望だったのかもしれない。
アラバールはマドリッドの大学へ進学。20歳の時に、今なお世界各国で上演され続ける処女戯曲『戦場のピクニック』を書き上げる(日本では今年、15団体が連続してこの作品を上演する「戦場のピクニック」フェスティバルが開催された)。
54年、演劇を学ぶため、3ヶ月の奨学金を得てパリに移住。60年、ホドロフスキー、トポールらと邂逅。同年、シュルレアリスト・アンドレ・ブルトンのグループと出会い、ホドロフスキーらと共にグループの会合に出席している(後に決別)。
62年、パフォーマンス・アート・グループ「パニック運動(Panic Movement)」を結成する。『鮮血の女修道院/愛と情念の呪われた祭壇』等のカルト・ホラー監督であり、『ファンドとリス』(ホドロフスキーの処女監督作。原作はアラバール)、『エル・トポ』のプロデューサーを務めるフアン・ロペス・モクテズマもこれに合流。
シュルレアリズムとパニック運動。この二つが結実したのが監督第二作『クレイジー・ホース』(73年)である。
第02回「シュルレアリズムと「パニック運動」――『クレイジーホース』(’73)」に続く。
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