死、恍惚、パニック! フェルナンド・アラバール!第02回『クレイジーホース』(’73)

『フェルナンド・アラバール初期作品集3枚組 無修正完全版』

全ての70年代カルト映画ファンに捧げる究極のカルト映像作家! 『エルトポ』『ホーリーマウンテン』のルーツがここにある!

アレハンドロ・ホドロフスキーや寺山修司に大きな影響を与えた伝説の映像作家、フェルナンド・アラバールの3部作! 驚愕の映像芸術の世界が日本に上陸!

2016年3月4日に『フェルナンド・アラバール初期作品集3枚組 無修正完全版』が発売となります。
なお、本コラムは、ペキンパー第四号に掲載されたものを再編集したものです。

第01回『死よ、万歳』(’71)
第02回『クレイジーホース』(’73)
第03回「『ゲルニカの木』(’75)

 

2.シュルレアリズムと「パニック運動」――『クレイジーホース』(’73)


狂へる馬は死んだ魚の夢を見るか?

ヨハン・ハインリヒ・フュースリーの「夢魔」がクレジットと共に現れる。スモッグに覆われた大都市。場面が切り替わると“耳の聞こえない”人々のための手話ニュースが始まる。公害、戦争、宇宙開発、貧困、疫病、「サルを使った実験で夢が記憶力を高めるとわかりました」――

母親殺しの嫌疑で追われる男、アデン(ジョージ・シャノン)は、逃避行の末に行き着いた砂漠で、不思議な小人マベル(ハチェミ・マルズーク。彼は『死よ~』に製作で参加、『ゲルニカの木』にも出演している)と出会う。彼は動物と会話し、空中を浮遊し、昼を夜に変える力を持っていた。二人は生活を共にし、友情を育む。アデンの住んでいた場所に興味を示したマベル。二人は都会へと向かう。

「マベルよ、僕は神聖なるラクダだ 君をバビロンへ連れて行こう」―

本作では『死よ~』以上に倒錯したアデンの母親への心情と、マベルの目を通して見た文明社会の醜さが描かれる。

 

母と子と聖霊

冒頭の「夢魔」と最後のニュースは、多くのシュルレアリスト同様、夢がアラバールのヴィジョンに与えた影響を窺わせる。また「夢魔」は本作でのアデンと母親のシーンの元ネタとなっている。

『死よ~』でも母親(と叔母)への近親相姦的な心情は見られたが、本作ではさらに露骨だ。これは主人公が肉体的に成熟したということだ。本作での母と子は『死よ~』の正当な続編と言える。

アデンのペニスの先端に蝋燭の灯をともす母親(演じているのはアカデミー賞候補にもなったフランスの名優・エマニュエル・リヴァ)。幼いアデンに首筋を噛まれると母親は小便を漏らす。

生まれたばかりの息子のペニスに針を刺して去勢する母親。それが苦痛の源であるかのように。

「息子よ 苦痛が待っています あなたは幼いイエス」――

思春期以降の男子にとって、性欲がいかに大きな問題かは男性読者諸氏には説明するまでもないだろう(私など「ちんこいらねぇよ・・・」と真剣に思った)。カトリックでは、肉欲は七つの大罪の一つであり、生殖目的以外のセックス、自慰行為は禁じられている。統合失調症を患ったカトリック教徒は自慰中毒に陥るケースが多いという。

『死よ~』との決定的な差は、本作では父親の描写が皆無という点だが、『死よ~』で刑務所の父からファンドに贈られていた飛行機の模型が、アデンの実家の屋根裏に置かれている。

アデンは本当に母親を殺したのか? その真実は終盤で明かされる。

 

パニクれ!(Panic!

「私がパニック運動に求めたものは、いかなる形であれ、混乱だ」――”Arrabal, Panik Cineast”

文明社会が人類に齎す“幸福”を語るアデン。だがそこで映し出されるのは、ガスマスクをつけて交わる男女、同じくマスクを着け、ガラクタを満載したショッピングカートを押して駆け回る人々だ。幸福とは程遠い。

都会にやってきたマベルの目には、葉巻をふかす老人は乳首を吸う赤ん坊に、切り倒される木は、舌と歯を抜かれる女性に映る。文明の進歩を称える神父とそれに賛同する聴衆に、マベルは戦慄する。

ここでパニック運動について説明する。パニック運動はフランスの演劇家アントナン・アルトーによる“残酷劇 (Théâtre de la Cruauté)”と牧神パン(Pan)に触発されたことで結成された。 それは動脈硬化に陥った当時のシュルレアリストたちから真のシュルレアリズム(超現実主義)を取り戻す運動であり、受動的な観客への挑戦だった。もっとも有名な演目は65年5月、パリ祭りで行われた四時間に及ぶものだ。それは、1リットルもの牛乳を浴びせられ、去勢される神父、男(ホドロフスキー)が着る生肉の服を「怒り」に扮した女たちが鋏で切り、その肉を揚げて観客に食べさせる…etc、という内容だった。パニック運動についてはホドロフスキーの著書に詳しい。また、インターネット上に動画もあるので是非観て頂きたい。

“通常の演劇では、役者は「役柄」と完全に融合しなければならない。(中略)束の間の演劇(筆者注・パニック運動の前身)では反対に、行為者は役柄を追放し、自分の人格、あるいは自分が望む人格に、たどりつくよう努めるべきだった”―『リアリティのダンス』

雨が降れば傘を差し、与えられた食物を口にする。何の疑問も持たずに。型に嵌められ、与えられた役割をこなすだけの文明社会での生活は「通常の演劇」と同じだ。それはアナーキストであるアラバールにとって軽蔑すべきものだった。本作におけるアデンとマベルの都会での珍道中はその映画的表現なのだ。

“Goodbye Cruel World”

アデンは追手の凶弾に倒れる。重なり合う母とアデン、アデンとマベル。死期を悟ったアデンはマベルに言う。「僕を裁いてくれ」――

それは、母親への罪か? それとも、人類の、文明社会の原罪を背負ったイエスとしてなのか?観客に母と子の真実が明かされ、判決が下る。

マベルがアデンを一輪台車に乗せて海岸へやってくるシーンは、前作のラストと重なる(マベルがいつも連れている山羊の名前はテレザ!)。前作では希望へ、生へと向かった主人公は、ここで遂に死の彼岸へ辿り着く。だが待ち受けるのは絶望ではない。母親の呪縛から解き放たれ、愛するものと、自然の神秘(Marvel)と一体になったアデンの魂は、更なる高みに到達するのだ。

「僕を食べてくれ 君と一つになりたい 母の下着を身に着けて 僕のすべてを食べ尽くせ」――

72年のイタリア映画『怪奇! 魔境の裸族』では「未開の部族の野蛮な因習」としての食人が描かれ、この後「食人」は一大ブームとなる。ウルグアイで起きたチャーター機墜落事故を題材とした75年の『アンデスの聖餐』では極限状態での「生存」のための食人が描かれている。『クレイジー・ホース』の食人はどちらにも当て嵌まらない、「愛」の行為だ(食べるのは未開人のマベルだが。一部の部族では死者の魂を受け継ぐ儀式として食人を行う。本作はこれに近い)。また、未開人の視点で文明社会の奇異さを描いている点は「食人族映画」の裏返しであり、その源流「モンド映画」にも通じる。

「僕は君のすべてを食べる 骨まで食べ尽くして 君の魂に近づく 何世紀も君の体を受け継ぎ 苦しみながら君を産む」―

唐突にフォンテーヌブロー派の絵画「ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像」のパロディが現れる。ビヤール公爵夫人(マベル)に乳首をつままれるガブリエル・デストレ(アラバール)。乳首をつままれる動作は懐妊の暗喩だという。